・・・僕の母の話によれば、法界節が二、三人編み笠をかぶって通るのを見ても「敵討ちでしょうか?」と尋ねたそうである。 一一 郵便箱 僕の家の門の側には郵便箱が一つとりつけてあった。母や伯母は日の暮れになると、かわるがわる門の・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・朝に北海に遊び、暮には蒼梧。袖裏の青蛇、胆気粗なり。三たび岳陽に入れども、人識らず。朗吟して、飛過す洞庭湖。 四 二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞い下りました。 そこは深い谷に臨んだ・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・また見よ、北の方なる蝦夷の島辺、すなわちこの北海道が、いかにいくたの風雲児を内地から吸収して、今日あるに到ったかを。 我が北海道は、じつに、我々日本人のために開かれた自由の国土である。劫初以来人の足跡つかぬ白雲落日の山、千古斧入らぬ蓊鬱・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ ――金石の湊、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹と烏賊と蛤が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽な昔話がある―― 人待石に憩んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕ろうと申合す。と、鮹が真前にちょろちょろと松の木の天辺へ這って、脚を・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・斎木の御新造は、人魚になった、あの暴風雨は、北海の浜から、潮が迎いに来たのだと言った―― その翌月、急病で斎木国手が亡くなった。あとは散々である。代診を養子に取立ててあったのが、成上りのその肥満女と、家蔵を売って行方知れず、……下男下女・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・巌にも山にも砕けないで、皆北海の荒波の上へ馳るのです。――もうこの渦がこんなに捲くようになりましては堪えられません。この渦の湧立つ処は、その跡が穴になって、そこから雪の柱、雪の人、雪女、雪坊主、怪しい形がぼッと立ちます。立って倒れるのが、そ・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 私は――白昼、北海の荒波の上で起る処のこの吹雪の渦を見た事があります。――一度は、たとえば、敦賀湾でありました――絵にかいた雨竜のぐるぐると輪を巻いて、一条、ゆったりと尾を下に垂れたような形のものが、降りしきり、吹煽って空中に薄黒い列・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・渠はその壮時において加賀の銭屋内閣が海軍の雄将として、北海の全権を掌握したりし磁石の又五郎なりけり。 泉鏡花 「取舵」
・・・ 北海の波の音、絶えず物の崩るる様な響、遠く家を離れてるという感情が突如として胸に湧く。母屋の方では咳一つするものもない。世間一体も寂然と眠に入った。予は何分寝ようという気にならない。空腹なる人の未だ食事をとり得ない時の如く、痛く物足ら・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・その面積は朝鮮と台湾とを除いた日本帝国の十分の一でありまして、わが北海道の半分に当り、九州の一島に当らない国であります。その人口は二百五十万でありまして、日本の二十分の一であります。実に取るに足りないような小国でありますが、しかしこの国につ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
出典:青空文庫