・・・転地した。海岸である。町はずれに、新築の家を借りて住んだ。転地保養の意味であったのだが、ここも、私の為に悪かった。地獄の大動乱がはじまった。私は、阿佐ヶ谷の外科病院にいた時から、いまわしい悪癖に馴染んでいた。麻痺剤の使用である。はじめは医者・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・一、十二年七月より十三年十月末まで、東京より四、五時間以上かかって行き得る保養地に、二十円内外の家借りて静養。 右の如く満一箇年、きびしき摂生、左肺全快、大丈夫と、しんから自信つきしのち、東京近郊に定住。 なお、静養中の仕事は、・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・勝手に取って持って来ることは許されないが、見るだけでも目の保養にはなる。千円の晴れ着を横目ににらんで二十銭のくけひもを買えば、それでその高価な帯を買ったような不思議な幻覚を生ずる事も可能である。陳列されてある商品全部が自分のもので、宅へ置き・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 保養の目的が達せられたかどうかはわからなかった。たいしてからだにさわりもしなかった代わりに別段のいい効果があったとも思われぬ。そのような効果が、秤や升ではかれるように判然とわかるものだったら、医師はさぞ喜びもしまた困る事だろうと思った・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・毎日の仕事に疲れた頭をどうにかもみほごして気持ちの転換を促し快いあくびの一つも誘い出すための一夕の保養としてはこの上もないプログラムの構成であると思われる。むしろ無意味に笑ったり、泣いたりすることの「生理的効果」のほうが実は大衆観客のみなら・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そのうちに知人のある者は保養地で疫痢のために愛児を亡くしたりした。それでもう海水浴というものが恐ろしくなって、泊りがけに行く気にはなれなくなってしまった。それでも一度も行かないのは子供等に気の毒なような気がするので、日返り旅行という事を考え・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・それにもかかわらず、少し勉強しすぎた道太は、この月こそ、旅で頭脳の保養をしようと思っていたので、毎日辰之助に電話をかけてもらいながら、つい出るのを億劫にしていた。 そんな話をしているところへ、届けてきた月並を、お絹は菓子器に盛って、道太・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・其保養を厚うし其感情を和らげ、仮初にも不愉快の年を発さしむることなきよう心を用う可し。殊に老人は多年の経験もあることなれば、万事に付き妨げなき限りは打明けて語り打明けて相談す可し。之を煩わすに似たれども、其相談は老人を疏外せざるの実を表する・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・私は目下温泉保養の決心をして、やすくて閑静なところを調査中です。栄さんとゆくために。私が書いている評伝の後に興味ある文化年表をつけます。そちらの方を受持っていてくれるので、共通の仕事もあるから。三週間位の予定です。多分信州の上林へゆきます。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ そんな苦しい或る日、鎌倉の海岸に保養していた従妹たちのところへ遊びに行った。四つばかり年下の従妹はまだ結婚前で、従弟たちと心も軽く身も軽く、小松の茂った砂丘の亭で笑いたわむれている。そのなかに打ち交わりながら、自分の苦悩がこの若い人た・・・ 宮本百合子 「青春」
出典:青空文庫