・・・ところが、自分の研究所のW君のにいさんが奈良県の技師をしておられるというので、これに依頼して、本場の奈良で詮議してもらったら、さっそく松井元泰編「古梅園墨談」という本を見つけて送ってくれたので、始めてだいたいの具体的知識に有りついた。なお後・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・デセールの干し葡萄や干し無花果やみかんなどを、本場だからたくさん食えと言ってハース氏がすすめた。「エンリョはいりません」など取っておきの日本語を出したりした。 夜久しぶりで動かない陸上の寝室で寝ようとすると、窓の外の例の中庭の底のほうか・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・登るときは牛のようにのろい代りに、下り坂は奔馬のごとくスキーのごとく早いので、二度に一度は船暈のような脳貧血症状を起こしたものである。やっと熱海の宿に着いて暈の治りかけた頃にあの塩湯に入るとまたもう一遍軽い嘔気を催したように記憶している。・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・その本場の批評家のいうところと私の考と矛盾してはどうも普通の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。そ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・入ったが最後どうしても出られないような装置になっていて、そして、そこは、支那を本場とする六神丸の製造工場になっている。てっきり私は六神丸の原料としてそこで生き胆を取られるんだ。 私はどこからか、その建物へ動力線が引き込まれてはいないかと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ただ、周防灘の姫島付近の河豚が一等味がよく、いわゆる下関河豚の本場となっている。(因 私は北九州若松港に生まれて育ったので、小さいときから海には親しんだ。泳ぎも釣りも好きだった。その釣りの初歩のころ、やたらに河豚がかかるのであきれたもの・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・の軍国主義者にとっての侵略目標であった。そして世界平和と人民生活の安定のための社会主義建設に努力するソヴェト同盟の存在は「赤」の本場として憎悪の的とされた。 そんなに書きためられていたソヴェト同盟についてのいきいきした話が一九三二年から・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・ この着物も、本場なら六十円を下らないが、一寸でも臭さければ、私にだって着られる。 この指環だって、ここに一つ新ダイヤが入って居ようものなら、八百円のものは、せいぜい六七十円がものだ。 写真で、真ものと、「まがい」の区別はつかな・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ ロシアの桜は本場の日本の桜と違うというなら馬鹿げた洒落だ。 書割で、我々は絶えず築地へのノスタルジヤを感じ通しであったが、ラネフスカヤは? アーニャは? ロパーヒンは? 彼等はやはりよかった。 ラネフスカヤのまるで無計算な、上品で・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・日本画は、そのもっている制約から今日の人民の生活の複雑な感情をうつし出すに困難であるし、洋画は文学のように誰でも新聞小説を読むというふうな生活へのはいりこみ方をしていない。本場のフランスでさえ、セザンヌの住んでいた村でセザンヌは理解されてい・・・ 宮本百合子 「ディフォーメイションへの疑問」
出典:青空文庫