・・・――ただいま正木会長の御演説中に市気匠気と云う語がありましたが、私の御話も出立地こそぼうっとして何となく稀有の思はあるが、落ち行く先はと云うと、これでも会長といっしょに市気匠気まで行くつもりであります。 まず――私はここに立っております・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜い・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・盛岡の上のそらがまだぼうっと明るく濁って見える。黒い藪だの松林だのぐんぐん窓を通って行く。北上山地の上のへりが時々かすかに見える。さあいよいよぼくらも岩手県をはなれるのだ。うちではみんなもう寝ただろう。祖母さんはぼくにお守りを借して・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そこらは、籾や藁から発ったこまかな塵で、変にぼうっと黄いろになり、まるで沙漠のけむりのようだ。 そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀のパイプをくわえ、吹殻を藁に落さないよう、眼を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・眼をつぶったくらやみの中ではそこら中ぼうっと燐の火のように青く見え、ずうっと遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹がぞろっとならんでさんさんさんと梢を鳴らしているように思ったのです。アラムハラドは眼をひらきました。子供らが・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・ 空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっとかすんで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が切れ切れになって目の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。 (ああ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集と嘉助は思いまし・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・地面はごく麗わしい青い石で、空がぼうっと白く見え、雪もま近でございました。 須利耶さまがお従弟さまに仰っしゃるには、お前もさような慰みの殺生を、もういい加減やめたらどうだと、斯うでございました。 ところが従弟の方が、まるですげなく、・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれ位あるかまたその中のさまざまの星についてはもう時間ですからこの次の理科の・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 東のそらがぼうっと銀いろになってそこをまっ黒な雲が北の方へどんどん走っています。「ではお日さまの出るまでどうぞ。もう一ぺん。ちょっとですから。」 かっこうはまた頭を下げました。「黙れっ。いい気になって。このばか鳥め。出て行・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
出典:青空文庫