・・・その形小さく力無い鳥の家に参るというのじゃが、参るというてもただ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないじゃ、内に深く残忍の想を潜め、外又恐るべく悲しむべき夜叉相を浮べ、密やかに忍んで参ると斯う云うことじゃ。このご説法のころは、われらの心・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ひとの顔さえ見ると何より先にきょとついて、はい、はいとやられると――参るよ」 さほ子も段々笑い出した。そして、良人の意見に賛成して散々気の毒な老女のぽんち姿を描いて笑い興じた。けれども、笑うだけ笑って仕舞うと、彼女は、足をぶらぶら振るの・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・何にしろ始めて此方へ来るもんですから勝手が分らなくって――白岡って処へ参るんですが……」 浦和を出たばかりに、婆さんは、「もう大宮でござんしょうか」と、私に質問を繰返した。下町の生活に馴れて汽車に乗るだけさえ一事件であるのだろう・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・って赤いプラカート担いで行進されちゃ、参るのさ、ソヴェトのピオニェールや自覚した婦人労働者はしっかりしてるからな。病院へ入れて中毒を療して貰っても、また悪い癖に戻るようなルンペンは、生産に携る勤労者として価値ないと云っていつまでもくっついて・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・神々の饗宴と云う奴には、ほとほと参るぞ。ミーダ 全くだ。困るのは君ばかりじゃあない。見てくれ、折角荒々しいような執念いような、気味悪い俺の相好も、半時彼方で香の煙をかいで来ると、すっかりふやけて間のびがして仕舞った。どうだ、少しは俺らし・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・拾得が食器を滌いますとき、残っている飯や菜を竹の筒に入れて取っておきますと、寒山はそれをもらいに参るのでございます」「なるほど」と言って、閭はついて行く。心のうちでは、そんなことをしている寒山、拾得が文殊、普賢なら、虎に騎った豊干はなん・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・それに江戸から参るのを、きっとお待になることが出来ましょうか」罪のないような、狡猾らしいような、くりくりした目で、微笑を帯びて、叔父の顔をじっと見た。 叔父は少からず狼狽した。「なる程。それは時と場合とに依る事で、わしもきっととは云い兼・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・なんだえと、わたくしが尋ねますと、安井さんへわたくしが参ることは出来ますまいかと申します。およめに往くということはどういうわけのものか、ろくにわからずに申すかと存じまして、いろいろ聞いてみましたが、あちらでもろうてさえ下さるなら自分は往きた・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・もうもうお前、今夜あたりでも参るかもしれんのじゃ。」「そんなことを云うてらちがあくか。」「こらかなわんのう。」「行こって、行こって、悪るうなりゃ俺が引き受けてやろぞ。」「もうお前。」「行こ行こ、何んじゃ!」 勘次は安・・・ 横光利一 「南北」
・・・アガアテはいつでもわたくしの所へ参ると、にっこり笑って、尼の被物に極まっている、白い帽子を着ていまして、わたくしの寝床に腰を掛けるのでございます。わたくしが妹の手を取って遣りますと、その手に障る心持は、丁度薔薇の花の弁に障るようでございます・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫