・・・ 面白いほどはやり、婆さんははばかりに立つ暇もないとこぼしたので、儲けの分を増してやることにして埋め合せをつけるなど、気をつかいながら、狭山で四日過し、「――こんな眼のまわる仕事は、年寄りには無茶や。わてはやっぱし大阪で三味線ひいて・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・これと同時に、脚や足の甲がむくむくと浮腫みを増して来ました。そして、病人は肝臓がはれ出して痛むと言います。これは医師が早くから気にしていたことで、その肝臓が痛み出しては、いよいよこれでお仕舞だと思いましたが、注射をしてからは少し痛みが楽に成・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そしてそれがまごうかたなく自分の秘かに欲していた情景であることを知ったとき、彼の心臓はにわかに鼓動を増した。彼はじっと見ていられないような気持でたびたび眼を外らせた。そしてそんな彼の眼がふと先ほどの病院へ向いたとき、彼はまた異様なことに眼を・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 朝夕のたつきも知らざりし山中も、年々の避暑の客に思わぬ煙を増して、瓦葺きの家も木の葉越しにところどころ見ゆ。尾上に雲あり、ひときわ高き松が根に起りて、巌にからむ蔦の上にたなびけり。立ち続く峰々は市ある里の空を隠して、争い落つる滝の千筋・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・故郷の風景は旧の通りである、しかし自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳かの年を増したばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし、等しく自然に対しても以前の心には全く趣を変えていたのである。言いがたき暗愁は・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ その後桂はついに西国立志編を一冊買い求めたが、その本というは粗末至極な洋綴で、一度読みおわらないうちにすでにバラバラになりそうな代物ゆえ、彼はこれを丈夫な麻糸で綴じなおした。 この時が僕も桂も数え年の十四歳。桂は一度西国立志編の美・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・よき友に合い、知己に合い、師に合い、それにも増して理想の愛人に合うことはたとえようもない幸福である。士は己れを知る者のために死すというが、自分の精霊の本質をつかんでくれるような知己に合うとき、人は生命をも惜しからじと思うのである。先輩や長上・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・しかし、烏は、数と、騒々しさと、陰欝さとを増して来るばかりだった。 或る日、村の警衛に出ていた兵士は、露西亜の百姓が、銃のさきに背嚢を引っかけて、肩にかついで帰って来るのに出会した。銃も背嚢も日本のものだ。「おい、待て! それゃ、ど・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・と唱ったが、その声は実に前の声にも増して清い澄んだ声で、断えず鳴る笛吹川の川瀬の音をもしばしは人の耳から逐い払ってしまったほどであった。 これを聞くとかの急ぎ歩で遣って来た男の児はたちまち歩みを遅くしてしまって、声のした方を・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・塾では更に教室も建増したし、教員の手も増した。日下部といって塾のためには忠実な教員も出来たし、洋画家の泉も一週に一日か二日程ずつは小県の自宅の方から通って来てくれる。しかし以前のような賑かな笑い声は次第に減って行った。皆な黙って働くように成・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫