・・・毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景物として出したが、この団扇に「景物にふくの団扇を奉る、おまめで年の市のおみやげ」という自作の狂歌を摺込んだ。この狂歌が呼び物となって、誰言うとなく淡島屋の団扇で餅を煽ぐと運が向いて来ると・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・の神を見るのではあるまい、其の栄の光輝その質の真像なる人なるキリストイエスを見るのであろう、而して彼を見る者は聖父を見るのであれば、心の清き者は天に挙げられしが如くに再地に臨り給う聖子を見て聖父を拝し奉るのであろう。 和平を求むる者は福・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・で申され候間、小生も思わずふきだし候、天保生まれの女の口からワッペウなどいう外国人の名前を一種変てこりんな発音にて聞かされ候ことゆえそのおかしさまた格別なりしかば、ついに『ワッペウさん』の尊号を母上に奉ることと相成り候、祖父様の貞夫をあやし・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・の略称、御出張とは、特に男爵閣下にわれわれ平民ないし、平ザムライどもが申し上げ奉る、言葉である。けれどもが、さし向かえば、些の尊敬をするわけでもない、自他平等、海藻のつくだ煮の品評に余念もありません。「戦争がないと生きている張り合いがな・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・日蓮は「天の御気色を拝見し奉るに、以ての外に此の国を睨みさせ給ふか。今年は一定寄せぬと覚ふ」と大胆にいいきった。平ノ左衛門尉はさすがに一言も発せず、不興の面持であった。 しかるに果して十月にこの予言は的中したのであった。 彼はこの断・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ているのだの、伊尹の使った料理鍋、禹の穿いたカナカンジキだのというようなものを素敵に高く買わすべきで、これはこれ有無相通、世間の不公平を除き、社会主義者だの無産者だのというむずかしい神の神慮をすずしめ奉る御神楽の一座にも相成る訳だ。 が・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・名にのみ聞きし石竜山の観音を今ぞ拝み奉ると、先ず境内に入りて足を駐めつ、打仰ぎて四辺を見るに、高さはおよそ三、四百尺もあるべく亙りは二町あまりもあるべき、いと大きなる一トつづきの巌の屏風なして聳え立ちたるその真下に、馬頭尊の御堂の古びたるが・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・他からは多くは祇尼天を祭るとせられたが、山では勝軍地蔵を本宮とするとしていた。勝軍地蔵は日本製の地蔵で、身に甲冑を着け、軍馬に跨って、そして錫杖と宝珠とを持ち、後光輪を戴いているものである。如何にも日本武士的、鎌倉もしくは足利期的の仏である・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・と此処まで云いて今更の感に大粒の涙ハラハラと、「雑兵共に踏入られては、御かばねの上の御恥も厭わしと、冠リ落しの信国が刀を抜いて、おのれが股を二度突通し試み、如何にも刃味宜しとて主君に奉る。今は斯様よとそれにて御自害あり、近臣一同も死・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・祖先を祭るために生きていなければならないとか、人類の文化を完成させなければならないとか、そんなたいへんな倫理的な義務としてしか僕たちは今まで教えられていないのだ。なんの科学的な説明も与えられていないのだ。そんなら僕たちマイナスの人間は皆、死・・・ 太宰治 「葉」
出典:青空文庫