・・・下に寝ねたるその妻、さばかりの吹降りながら折からの蒸暑さに、いぎたなくて、掻巻を乗出でたる白き胸に、暖き息、上よりかかりて、曰く、汝の夫なり。魔道に赴きたれば、今は帰らず。されど、小児等も不便なり、活計の術を教うるなりとて、すなわち餡の製法・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ と蠢かいて言った処は、青竹二本に渡したにつけても、魔道における七夕の貸小袖という趣である。 従七位の摂理の太夫は、黒痘痕の皺を歪めて、苦笑して、「白痴が。今にはじめぬ事じゃが、まずこれが衣類ともせい……どこの棒杭がこれを着るよ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 皆、手も足も縮んでしまいましたろう、縛りつけられたようになりましたそうでございますが、まだその親が居りました時分、魔道へ入った児でも鼻を嘗めたいほど可愛かったと申しまする。(忰と父親が寄ろうとしますと、変な声を出して、 寄らっ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・現に僕の事でも彼女が惑うたからでしょう……」 お正はうつ向いたまま無言。「それで今夜は運よくお互に会うことが出来ましたが、最早二度とは会えませんから言います、貴女も身体も大切にして幾久しく無事でお暮しになるように……」 お正は袖・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・さてはいよいよこれなりけりと心勇みて、疾く嚮導すべき人を得んと先ず観音堂を索むるに、見渡す限りそれかと覚しきものも見えねばいささか心惑う折から、寒月子は岨道を遥かに上り行きて、ここに堂あり堂ありと叫ぶ。嬉しやと己も走り上りて其処に至れば、眼・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・これらの失敗に際して実験者当人は、必要条件を具備すれば、結果は予期に合すべきを信ずるが故にあえて惑う事なしとするも、いまだ科学的の思弁に慣れず原因条件の分析を知らざる一般観者は不満を禁ずる能わざるべし。また場合により実験の結果が半ばあるいは・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ランスロットは惑う。 カメロットに集まる騎士は、弱きと強きを通じてわが盾の上に描かれたる紋章を知らざるはあらず。またわが腕に、わが兜に、美しき人の贈り物を見たる事なし。あすの試合に後るるは、始めより出づるはずならぬを、半途より思い返して・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・人か馬か形か影かと惑うな、只呪いその物の吼り狂うて行かんと欲する所に行く姿と思え。 ウィリアムは何里飛ばしたか知らぬ。乗り斃した馬の鞍に腰を卸して、右手に額を抑えて何事をか考え出さんと力めている。死したる人の蘇る時に、昔しの我と今の我と・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・悪魔、悪魔には違いないがしかしその時自分を悪魔とも思わないしまたみイちャんを魔道に引き入れるとも思わなかった。この間の消息を知ってる者は神様と我々二人ばかりだ。人間世界にありうちの卑しい考は少しもなかったのだから罪はないような者であるが、そ・・・ 正岡子規 「墓」
・・・(これはこれ 惑う木立 どこからかこんな声がはっきり聞えて来ました。諒安は眼をひらきました。霧がからだにつめたく浸み込むのでした。 全く霧は白く痛く竜の髯の青い傾斜はその中にぼんやりかすんで行きました。諒安はとっと・・・ 宮沢賢治 「マグノリアの木」
出典:青空文庫