・・・そういう人間が多いから商売が険悪になって、西の方で出来たイカサマ物を東の方の田舎へ埋めて置いて、掘出し党に好い掘出しをしたつもりで悦ばせて、そして釣鉤へ引掛けるなどという者も出て来る。京都出来のものを朝鮮へ埋めて置いて、掘出させた顔で、チャ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・その後になっても外法頭という語はあって、福禄寿のような頭を、今でも多分京阪地方では外法頭というだろう、東京にも明治頃までは、下駄の形の称に外法というのがあった。竹斎だか何だったか徳川初期の草子にも外法あたまというはあり、「外法の下り坂」とい・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ってひりりとする朝湯に起きるからすぐの味を占め紳士と言わるる父の名もあるべき者が三筋に宝結びの荒き竪縞の温袍を纏い幅員わずか二万四千七百九十四方里の孤島に生れて論が合わぬの議が合わぬのと江戸の伯母御を京で尋ねたでもあるまいものが、あわぬ詮索・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・永田は遠からず帰朝すると言うし、高瀬は山の中から出て来たし、いよいよ原も家を挙げて出京するとなれば、連中は過ぐる十年間の辛酸を土産話にして、再び東京に落合うこととなる。不取敢、相川は椅子を離れた。高く薄暗い灰色の壁に添うて、用事ありげな人々・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・、それから、片方に白いふさふさの羽毛を附したる竹製の耳掻きを見つけて、耳穴を掃除し、二十種にあまるジャズ・ソングの歌詞をしるせる豆手帳のペエジをめくり、小声で歌い、歌いおわって、引き出しの隅、一粒の南京豆をぽんと口の中にほうり込む。かなしい・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・父は、東京の、この牛込の生れで、祖父は陸中盛岡の人であります。祖父は、若いときに一人でふらりと東京に出て来て半分政治家、半分商人のような何だか危かしいことをやって、まあ、紳商とでもいうのでしょうか、それでも、どうやら成功して、中年で牛込のこ・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・それからこの颱風の中心は土佐の東端沿岸の山づたいに徳島の方へ越えた後に大阪湾をその楕円の長軸に沿うて縦断して大阪附近に上陸し、そこに用意されていた数々の脆弱な人工物を薙倒した上で更に京都の附近を見舞って暴れ廻りながら琵琶湖上に出た。その頃か・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・熊本の高等学校を出て東京へ出て来るについて色々の期待をもっていたうちでも、一つの重要なことは正岡子規を訪問することであった。そうして、着京後間もなく根岸の鶯横町というのを尋ねて行った。前田邸の門前近くで向うから来る一人の青年が妙に自分の注意・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・私はしばらく大阪の町の煤煙を浴びつつ、落ち着きのない日を送っていたが、京都を初めとして附近の名勝で、かねがね行ってみたいと思っていた場所を三四箇所見舞って、どこでも期待したほどの興趣の得られなかったのに、気持を悪くしていた。古い都の京では、・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・き揚げて、その時K市のステーションへ著いたばかりであったが、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので、ほんの一二枚の著替えしかもっていなかったところから、病気が長引くとみて、必要なものだけひと鞄東京の宅から送らせて、当分この町に滞在する・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫