・・・私は新聞の記事にあおりたてられた物見高い人々が、五年目の再会の模様を見ようと、天王寺へお詣りがてら来ているのだと判ると、きゅうに自分のみすぼらしい――新聞に書かれた出世双六などという言葉におよそ似つかぬ姿を恥じて、穴あらばはいりたい気持とは・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・あんなに若いのに金を溜めてどうするのだろう、ボロ家に住んでみすぼらしい服装をして、せっせと溜めてやがる、と軽蔑されていた。 ところが、その彼がある空襲のはげしい日、私に高利貸を紹介してくれという。「高利貸に投資するつもりか」私は皮肉・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・ 焼跡らしい、みすぼらしいプラットホームで、一人の若い洋装の女が、おずおずと、しかし必死に白崎のいる窓を敲いた。「窓から乗るんですか」 と、白崎は窓をあけた。「ええ」 彼はほっとしたのだった。どこの窓も、これ以上の混雑を・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・四十位のみすぼらしい女で、この寒いのに素足に藁草履をはいていた。げっそりと痩せて青ざめた顔に、落ちつきのない表情を泛べ乍ら、「あのう、一寸おたずねしますが、荒神口はこの駅でしょうか」「はあ――?」「ここは荒神口でしょうか」「・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ 秋の夜、目の鋭いみすぼらしい男が投宿した。宿帳には下手糞な字で共産党員と書き、昨日出獄したばかりだからとわざと服装の言訳して、ベラベラとマルキシズムを喋ったが、十年入獄の苦労話の方はなお実感が籠り、父親は十年に感激して泣いて文子の婿に・・・ 織田作之助 「実感」
・・・という道子を無理矢理東京の女子専門学校の寄宿舎へ入れ、そして自分は生国魂神社の近くにあった家を畳んで、北畠のみすぼらしいアパートへ移り、洋裁学院の先生になったその日から、もう自分の若さも青春も忘れた顔であった。 妹の学資は随分の額だのに・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・パトロンは早々と部屋へ連れて上って、みすぼらしい着物を寝巻に着更えさせるだろう。彼女は化粧を直すため、鏡台の前で、ハンドバッグをあけるだろう。その中には仁丹の袋がはいっている。仁丹を口に入れて、ポリポリ噛みながら、化粧して、それから、ベッド・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ 惣治はこれまでとてもさんざん兄のためには傷められてきているのだが、さすがに三十面をしたみすぼらしい兄の姿を見ては、卒気ない態度も取れなかった。彼は兄に、自分の二階へ妻子たちを集めてはどうかと言ってみた。食っているくらいのことはたいした・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・だなと思ったのであるが、その女は自分が天理教の教会を持っているということと、そこでいろんな話をしたり祈祷をしたりするからぜひやって来てくれということを、帯の間から名刺とも言えない所番地をゴム版で刷ったみすぼらしい紙片を取り出しながら、吉田に・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・蟹田から青森まで、小さい蒸気船の屋根の上に、みすぼらしい服装で仰向に寝ころがり、小雨が降って来て濡れてもじっとしていて、蟹田の土産の蟹の脚をポリポリかじりながら、暗鬱な低い空を見上げていた時の、淋しさなどは忘れ難い。結局、私がこの旅行で見つ・・・ 太宰治 「十五年間」
出典:青空文庫