・・・王さまは方々へ人を出してさんざんお探しになりましたが、とうとうしまいまで見附りませんでした。王さまはその王女でなくてはどうしてもおいやなので、それなり今日までだれもおもらいにならないのでした。 ところが、今ウイリイの羽根を見てびっくりな・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・市ヶ谷見附の市電の停留場にたどりついたときは、ほとんど呼吸ができないくらいに、からだが苦しく眼の先がもやもや暗くて、きっとあれは気を失う一歩手前の状態だったのでございましょう。停留場には人影ひとつ無かったのでした。たったいま、電車が通過した・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・そういう人はなかなかそう容易く見附かるものではない。現在ドイツのウーファがこの点でほとんど独り舞台を見せているが、近頃のロシアの「婦人の衛生」などもこの点で著しい傑作であった。ところで我邦の教育映画はどんな有様であるか。自分はまだ不幸にして・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・ それは美しい秋晴の日であったが、ちょうど招魂社の祭礼か何かの当日で、牛込見附のあたりも人出が多く、何となしにうららかに賑わっていた。会場の入口には自動車や人力が群がって、西洋人や、立派な服装をした人達が流れ込んでいた。玄関から狭い廊下・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ げじげじから泥坊、泥坊からしらみを取って食う鍛冶橋見付の乞食、それから小田原の倶梨伽羅紋々と、自分の幼時の「グロテスク教育」はこういう順序で進捗して行ったのであった。この教程は今考えてみると偶然とは言いながら実によくできていたと思う。・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ 午飯が出来たと人から呼ばれる頃まで、庭中の熊笹、竹藪の間を歩き廻って居た田崎は、空しく向脛をば笹や茨で血だらけに掻割き、頭から顔中を蛛の巣だらけにしたばかりで、狐の穴らしいものさえ見付け得ずに帰って来た。夕方、父親につづいて、淀井と云・・・ 永井荷風 「狐」
・・・裳川先生はその頃文部省の官吏で市ヶ谷見附に近い四番町の裏通りに住んでおられた。玄関から縁側まで古本が高く積んであったのと、床の間に高さ二尺ばかりの孔子の坐像と、また外に二つばかり同じような木像が置かれてあった事を、わたくしは今でも忘れずにお・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
一 四谷見付から築地両国行の電車に乗った。別に何処へ行くという当もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育の高架鉄道、巴里の乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船なぞ・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・世界中捜しても見附からないはずだ。乞食の靴の中に這入っている。誰にだって分からなかろう。誰にだってなあ。ははは。何百万と云う貨物が靴の中にあるのだ。」 一本腕は無意識に手をさし伸べて、爺いさんの左の手に飛び附こうとした。「手を引っ込・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ みんなは一生懸命そこらをさがしましたが、どうしても見附かりませんでした。それで仕方なく、めいめいすきな方へ向いて、いっしょにたかく叫びました。「おらの道具知らないかあ。」「知らないぞお。」と森は一ぺんにこたえました。「さが・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
出典:青空文庫