・・・されど、実体の両面たる物質と勢力とが構成し、仮現する千差万別・無量無限の形体にいたっては、常住なものはけっしてない。彼らすでに始めがある。かならず終りがなければならぬ。形成されたものは、かならず破壊されねばならぬ。成長する者は、かならず衰亡・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・活気と、精力と、無限の欲望とは、今だに彼を壮年のように思わせている。まして八年前。その証拠には、おせんと並んで歩いていた頃でも、誰も夫婦らしくないと言った眼付して二人を見て笑ったものも無かった。すくなくも大塚さんにはそう思われた。どうして、・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・彼女の物を言わない胸の裡には、只、心を見透おす神ばかりに聞える、無限の啜泣きがあったのです。 今度こそ、眼と耳と両方を使って、彼女の良人は眼と同様に耳も働かせた厳重な検査をし、二度目の、物を云える妻と、結婚しました。〔一九二三年二月〕・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と思われる。画を書いてお目にかけると、よくわかるのですが、謂わば、フランス式とドイツ式と二つある。結果は同じ様なことになるのだが、フランス式のほうは、すべての人に納得の行く・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・気を失ったら夢幻境です。昇天でございます。苦しさから、きれいにのがれる事ができるのです。死んだって、かまわないじゃないですか。けれども痒さは、波のうねりのようで、もりあがっては崩れ、もりあがっては崩れ、果しなく鈍く蛇動し、蠢動するばかりで、・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・また近ごろの漫画的映画の喜ばれるゆえんは、夢幻的な雰囲気の中に有りうべからざる人間の夢を実現するという点に存すると思われる。現実の世界において望んで得べからざる願望が夢の国において実現されるように、人工映画の世界においてはあらゆる空想が安々・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・元来映画の芸術はまだ生まれてまもないものであってその可能性については、従来相当に多数な文献があるにもかかわらず、まだ無限に多くのものが隠され拾い残されているであろうと思われる。従って、かえってそういう文献などに精通しない門外漢の幼稚な考察の・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ノの前に坐り所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変になって来て、急に嵐のような幻想曲を弾き出す、その狂熱的な弾奏者の顔のクローズアップに重映されて祖国の同志達の血潮に彩られた戦場の光景が夢幻のごとくスクリーンの面を往来する。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・こういう趣向は別に新しくもなくまたなんでもないことのようであるが、しかしやはり映画のスクリーンの世界にのみ可能な一種不思議な夢幻郷である。観客はその夢幻郷の蝴蝶になって観客席の空間を飛翔してどことも知らぬ街路の上に浮かび出るのである。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・運命の魔女が織り成す夢幻劇の最後の幕の閉じる幔幕としてこの刺繍の壁掛けを垂下したつもりであるかもしれない。 このようにいろいろな味のちがったものを多数に全編の中に取り入れて、趣味のちがった多数の観客の享楽に適するようにしようとすれば、ど・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
出典:青空文庫