・・・しかしこういう業つくばりの男の事故、芸者が好きだといっても、当時新橋第一流の名花と世に持囃される名古屋種の美人なぞに目をくれるのではない。深川の堀割の夜深、石置場のかげから這出す辻君にも等しい彼の水転の身の浅間しさを愛するのである。悪病をつ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗を記録する操觚者の末に、たまたまわたくしの名が加えられたのは実に意外の光栄で、我事は既に終ったというような心持がする。 正宗谷崎二君がわたくしの文を批判する態度は頗寛大であって、ややもすれば称・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・云 江戸名家の文にして墨水桜花の美を賞したものは枚挙するに遑がない。しかし京師および吉野山の花よりも優っていると言ったものは恐らく松崎慊堂のみであろう。慊堂は昌平黌の教授で弘化元年に歿した事は識者の知る所。その略伝の如きはここに言わない・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・伊太利亜名家の画ける絵のほとんど真黒になりたるを掛けあり。壁の貼紙は明色、ほとんど白色にして隠起せる模様及金箔の装飾を施せり。主人クラウヂオ。(独窓の傍に座しおる。夕陽夕陽の照す濡った空気に包まれて山々が輝いている。棚引いている白雲・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 有名なひとの孫がパリでそのような生活に陥っているということに対して、私たちの心が動かされるとしたら、それは俗っぽく名家二代なしの証拠をそこに見るためではないと思う。トルストイという極めて強烈な生命力を発散させて生涯を終った一つの人間性・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・ 一人の人間が、社会的に有名であるということは、場合によっては、その人の不幸であるばかりでなく、一家一族の不幸とさえなる場合がある。名家二代なし、といった古い言葉は、うがったところを持っている。碌々として、只事なからんことばかりを期し、・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・ 若きヴェルテルの悩みや名家選集をもって、藍子は二年の間尾世川に教えて貰ったと云うより寧ろ教えさせて来たのであった。 三月の第一火曜日の午後、藍子は小日向町へ出かけて行った。尾世川が牛込の方から此方へ越して来てから、藍子も、同じ・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・この市長というは土地の名家で身の丈高く辞令に富んだ威厳のある人物であった。『アウシュコルン、』かれは言った、『今朝、ブーズヴィルの途上でイモーヴィルのウールフレークの遺した手帳をお前が拾ったの見たものがある。』 アウシュコルンはなぜ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫