明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行っ・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・おれは昔の怜悧者ではない。おれは明治の人間だ。明治の天子様は、たとえ若崎が今度失敗しても、畢竟は認めて下さることを疑わない」と、安心立命の一境地に立って心中に叫んだ。 ○ 天皇は学校に臨幸あらせられた。予定のごとく若・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・唯り文士としての兆民先生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わねばならぬ。 先生、姓は中江、名は篤介、兆民は其号、弘化四年土佐高知に生れ、明治三十五年、五十五歳を以て東京に歿した。二 先生の文は殆ど神品であ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・北村君の生涯の中の晩年の面影だとか、北村君の開こうとした途だとか、そういう風のものに就ては私は已にいくらか発表してある。明治年代も終りを告げて、回顧の情が人々の心の中に浮んで来た時に、どういう人の仕事を挙げるかという問に対しては、いつでも私・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・〔明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演、明治四十五年四月『東亞研究』第二卷第四號〕 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・ 明治十九年十二月田口卯吉 識 田口卯吉 「将来の日本」
・・・読書の撰定に特色がある。明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの、飜訳物をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・吹く風をなこその関という歌の心を一言でいい切る事が至難なのと同様に、どうも、親切な教訓ほど、一言で明示する事はむずかしいようである。先日、私が久しぶりで阿佐ヶ谷の黄村先生のお宅へお伺いしたら、先生は四人の文科大学生を相手に、気焔を揚げておら・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 私は青年――明治三十四五年から七八年代の日本の青年を調べて書いてみようと思った。そして、これを日本の世界発展の光栄ある日に結びつけようと思い立った。ことに、幸いであったのは、その小林秀三氏の日記が、中学生時代のものと、小学校教師時代と・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・日本ならば明治十二年卯歳の生れで数え年四十三になる訳である。生れた場所は南ドイツでドナウの流れに沿うた小都市ウルムである。今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこの科学者・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫