・・・しかし肝腎の部屋の中は、まだ香炉に蒼白い火がめらめら燃えているばかり、人気のないようにしんとしています。 遠藤はその光を便りに、怯ず怯ずあたりを見廻しました。 するとすぐに眼にはいったのは、やはりじっと椅子にかけた、死人のような妙子・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・火はめらめらと紙を焼いて、甚太夫の苦い顔を照らした。 書面は求馬が今年の春、楓と二世の約束をした起請文の一枚であった。 三 寛文十年の夏、甚太夫は喜三郎と共に、雲州松江の城下へはいった。始めて大橋の上に立っ・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ご本尊にあやかって、めらめらと背中に火を背負って帰ったのが見えませんかい。以来、下町は火事だ。僥倖と、山の手は静かだっけ。中やすみの風が変って、火先が井戸端から舐めはじめた、てっきり放火の正体だ。見逃してやったが最後、直ぐに番町は黒焦さね。・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・という処に善照寺という寺があって此処へある時村のものが、貉を生取って来て殺したそうだが、丁度その日から、寺の諸所へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家を狩集めて見張となると、見ている前で、障子がめらめらと、燃える、ひゃあ、と飛ついて消・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅の夾竹桃の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられ・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・けれども、今夜は全くの無風なので、焔は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、めらめら燃える焔のけはいが、ここまではっきり聞えるようで、ふるえるほどに壮観であった。ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・私もまた、眼帯のために、うつうつ気が鬱して、待合室の窓からそとの椎の若葉を眺めてみても、椎の若葉がひどい陽炎に包まれてめらめら青く燃えあがっているように見え、外界のものがすべて、遠いお伽噺の国の中に在るように思われ、水野さんのお顔が、あんな・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・ すぐ、眼の前の一軒の農家がめらめら燃えている。燃えはじめてから燃え尽きるまで、実に永い時間がかかるものだ。屋根や柱と共にその家の歴史も共に炎上しているのだ。 しらじらと夜が明けて来る。 私たちは、まちはずれの焼け残った国民学校・・・ 太宰治 「薄明」
・・・障子に揮発油をぶっかけて、マッチで点火したら、それは大いに燃えるだろうが、せいぜいそれくらいのところしか想像に浮んで来ないのであって、あんな、ふとい大黒柱が、めらめら燃え上るなど、不思議な気がする。火事は、精神的なものである。私は、宗教をさ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・薔薇の花の紅なるが、めらめらと燃え出して、繋げる蛇を焼かんとす。しばらくして君とわれの間にあまれる一尋余りは、真中より青き烟を吐いて金の鱗の色変り行くと思えば、あやしき臭いを立ててふすと切れたり。身も魂もこれ限り消えて失せよと念ずる耳元に、・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫