・・・が、不思議に新らしい傾向を直覚する明敏な頭を持っていて、魯文門下の「江東みどり」から「正直正太夫」となると忽ち逍遥博士と交を訂し、続いて露伴、鴎外、万年、醒雪、臨風、嶺雲、洒竹、一葉、孤蝶、秋骨と、絶えず向上して若い新らしい知識に接触するに・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・沼南と仕事を侶にした提携者や門下生的関係ある昵近者さえが「復たユックリ来給え」で碌々用談も済まない中に撃退されてブツクサいうのは珍らしくなかった。 尤も沼南は極めて多忙で、地方の有志者などが頻繁に出入していたから、我々閑人にユックリ坐り・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・そこで門下の士を遣って、九如に告げさせた。「君が取って行ったものは実は贋鼎である。真の定鼎はまだ此方に蔵してあるので、それは太常公の戒に遵って軽かろがろしく人に示さぬことになっているから御視せ申さなかったのである。しかるに君が既に千金を捐て・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・しかし子供のような心で門下に集まる若い者には、あらゆる弱点や罪過に対して常に慈父の寛容をもって臨まれた。そのかわり社交的技巧の底にかくれた敵意や打算に対してかなりに敏感であったことは先生の作品を見てもわかるのである。「虞美人草」を書いて・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・それは芭蕉とその門下の共同制作になる連句である。その多数な「歌仙」や「百韻」のいかなる部分を取って来ても、そこにこの「放送音画」のシナリオを発見することができるであろう。もちろんこれらの連句はさらにより多く発声映画のシナリオとして適切なもの・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・安倍さんという人は漱石門下の一人で、昔は「大思想家の人生観」というしごく尨大でわかりにくい本の翻訳などもやり、今なお老いて若い心があって、青年の大先輩として思いやりのあるひとの一人であろう。友情に慰安を求めよ、と云う言葉のなかに若い胸にふれ・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・ ×夏目漱石の墓 アドバンテージ 妻君 門下 故先生 Сижки Суми 二十五歳 一寸した小会社の娘 変りものを以て任ず。 東洋大学で同級であった男と同棲、子供、震災・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・江戸で同じ季吟門下の卜尺の厄介になり、或は幕府の御納屋商人杉山杉風の世話をうけたりした。又幕府の小石川関口の水道工事の役人になって何年か過したが、この経済的に不遇な感受性の烈しい土木工事監督の小役人は、その間に官金を使いこんだ廉で奉行所から・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・ その後仲平は二十六で江戸に出て、古賀こがとうあんの門下に籍をおいて、昌平黌に入った。後世の註疏によらずに、ただちに経義を窮めようとする仲平がためには、古賀より松崎慊堂の方が懐かしかったが、昌平黌に入るには林か古賀かの門に入らなくてはな・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫