・・・画工、猛然として覚む。魘われたるごとく四辺をみまわし、慌しく画の包をひらく、衣兜のマッチを探り、枯草に火を点ず。野火、炎々。絹地に三羽の烏あらわる。凝視。彼処に敵あるがごとく、腕を挙げて睥睨す。画工 俺の画を見ろ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・これまさしく伊豆の山人、野火を放ちしなり。冬の旅人の日暮れて途遠きを思う時、遥かに望みて泣くはげにこの火なり。 伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、童ら節おもしろく唄い、沖の方のみ見やりて手を拍ち、躍り狂えり。あわれこの罪なき声、かわたれ時の・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・にもさせまじきはこのことと俊雄ようやく夢覚めて父へ詫び入り元のわが家へ立ち帰れば喜びこそすれ気振りにもうらまぬ母の慈愛厚く門際に寝ていたまぐれ犬までが尾をふるに俊雄はひたすら疇昔を悔いて出入りに世話をやかせぬ神妙さは遊ばぬ前日に三倍し雨晨月・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ するとやはり同じように、長々の頭にぶつかり、火の目小僧に羽根をやかれて、また長々につかまってしまいました。 王さまはあくる朝になると、またびっくりなさいました。 そんなことで、三日目の今夜、また王女がしくじったら、たった一人の・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・春になればし、雪こ溶け、ふろいふろい雪の原のあちこちゆ、ふろ野の黄はだの色の芝生こさ青い新芽の萌えいで来るはで、おらの国のわらわ、黄はだの色の古し芝生こさ火をつけ、そればさ野火と申して遊ぶのだおん。そした案配こ、おたがい野火をし距て、わらわ・・・ 太宰治 「雀こ」
・・・十坪の庭にトマトを植え、ちくわを食いて、洗濯に専念するも、これ天職、われとわがはらわたを破り、わが袖、炎々の焔あげつつあるも、われは嵐にさからって、王者、肩そびやかしてすすまなければならぬ、さだめを負うて生れた。大礼服着たる衣紋竹、すでに枯・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
「学位売買事件」というあまり目出度からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑やかで無味な空虚の中に振り播かれた胡椒のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 西北隣のロシアシベリアではあいにく地震も噴火も台風もないようであるが、そのかわりに海をとざす氷と、人馬を窒息させるふぶきと、大地の底まで氷らせる寒さがあり、また年を越えて燃える野火がある。決して負けてはいないようである。 中華民国・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・それから川岸の細い野原に、ちょろちょろ赤い野火が這い、鷹によく似た白い鳥が、鋭く風を切って翔けた。楢ノ木大学士はそんなことには構わない。まだどこまでも川を溯って行こうとする。ところがとうとう夜になった。今はも・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・かれ草でそれはたしかにいいけれども、寝ているうちに、野火にやかれちゃ一言もない。よしよし、この石へ寝よう。まるでね台だ。ふんふん、実に柔らかだ。いい寝台だぞ。」その石は実際柔らかで、又敷布のように白かった。そのかわり又大学士が、・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
出典:青空文庫