・・・よしんば偶然にしてその寿命のみをたもちえても、健康と精神力とがこれにともなわないで、ながく困窮・憂苦の境におちいり、みずからたのしまず、世をも益することなく、碌々・昏々として日を送るほどならば、かえって夭死におよばぬではないか。 けだし・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・・素質を享け、斯かる境界・運命に遇い得る者は、今の社会には洵とに千百人中の一人で、他は皆不自然の夭死を甘受するの外はない、縦令偶然にして其寿命のみを保ち得ても、健康と精力とが之に伴わないで、永く窮困・憂苦の境に陥り、自ら楽しまず、世をも益す・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 煙草の効能の一つは憂苦を忘れさせ癇癪の虫を殺すにあるであろうが、それには巻煙草よりはやはり煙管の方がよい。昔自分に親しかったある老人は機嫌が悪いと何とも云えない変な咳払いをしては、煙管の雁首で灰吹をなぐり付けるので、灰吹の頂上がいつも・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ anger はアイスランドの ngr やLの angor などのような「憂苦」を意味する言葉と関係があるそうで、一方ではまたスウェーデンの「悔恨」を意味する nger に通ずる。このオンゲルは「オコル」に似ている。 怒りを意味する・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・今電車の窓から日曜の街の人通りをのどかに見下ろしている刻下の心持はただ自分が一通りの義務を果してしまった、この間中からの仕事が一段落をつげたと云うだけの単純な満足が心の底に動いているので、過去の憂苦も行末の心配も吉野紙を距てた絵ぐらいに思わ・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・ただ現在に活動しただ現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで、取越苦労や世迷言や愚痴は口の先ばかりでない腹の中にもたくさんなかった。それで少々得意になったので外国へ行っても金が少なくっても一箪の食一瓢の飲然と呑気に洒落にまた沈着に暮さ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・パンドラという人類のはじめての女性が、人間生活のあらゆる憂苦をもたらしたというギリシア神話の物語も、コフマンは何故ギリシア時代の社会生活が最初の女性にそういういやな役割を演じさせたかという、当時の女の地位にもふれて疑問としている。 この・・・ 宮本百合子 「世代の価値」
出典:青空文庫