・・・『オヤいないのだよ』と去ってしまった、それから五分も経ったか、その間身動きもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然立って着衣の前を丁寧に合わして、床に放棄ってあった鳥打ち帽を取るや、すたこらと梯子段を・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・「そうかね、私にかまわないでお出かけよ、私も今日は日曜だから悠然していられない」「そうでしたね、日曜は兵隊が沢山来る日でしたね」と自分は何心なく言った。すると母、やはり気がとがめるかして、少し気色を更え、音がカンを帯びて、「なに・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・その時僕の主我の角がぼきり折れてしまって、なんだか人懐かしくなって来る。いろいろの古い事や友の上を考えだす。その時油然として僕の心に浮かんで来るのはすなわちこれらの人々である。そうでない、これらの人々を見た時の周囲の光景の裡に立つこれらの人・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 持たない中こそ何でもなかったが、手にして見るとその竿に対して油然として愛念が起った。とにかく竿を放そうとして二、三度こづいたが、水中の人が堅く握っていて離れない。もう一寸一寸に暗くなって行く時、よくは分らないが、お客さんというのはでっ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・利休以外にも英俊は存在したが、少は差があっても、皆大体においては利休と相呼応し相追随した人であって、利休は衆星の中に月の如く輝き、群魚を率いる先頭魚となって悠然としていたのである。秀吉が利休を寵用したのはさすが秀吉である。足利氏の時にも相阿・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 阿波の六郎澄元は与一の方から何らかの使者を受取ったのであろう、悠然として上洛した。無人では叶わぬところだから、六郎の父の讃岐守は、六郎に三好筑前守之長と高畠与三の二人を付随わせた。二人はいずれも武勇の士であった。 与二は政元の下で・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 今時分、人一人通ろうようは無い此様なところの雪の中を、何処を雪が降っているというように、寒いも淋しいも知らぬげに、昂然として又悠然として田舎の方から歩いて来る者があった。 こんなところを今頃うろつくのは、哀れな鳥か獣か。小鳥では無・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ ここに至って合点が出来た。油然として同情心が現前の川の潮のように突掛けて来た。 ムムウ。ほんとのお母さんじゃないネ。 少年は吃驚して眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと頭を下げて有難うという意を表・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・口をいっぱいにあいて下へ落ちたせんべいのありうる可能性などは考えないで悠然として次のを待っている姿は罪のないものである。自分らと並んで見物していた信州人らしいおじさんが連れの男にこの熊は「人格」が高いとかなんとかいうような話をしていた。熊の・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ かくのごとく我儘であるくせにまた甚だしく臆病な彼は、自分で断然年賀端書を廃して悠然炬燵にあたりながら彼の好む愚書濫読に耽るだけの勇気もないので、表面だけは大人しく人並に毎年この年中行事を遂行して来た。早く手廻しをすればよいのに、元日に・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
出典:青空文庫