・・・ と言いかけてちょっと猶予って、聞く人の顔の色を窺ったのは、こういって客がこのことについて注意をするや否やを見ようとしたので。心にもかけないほどの者ならば話し出して退屈をさせるにも及ばぬことと、年寄だけに気が届いたので、案のごとく判事は・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・それを下りさまに、ふと猶予ったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、褄を取って高く端折った。婦は誰も長襦袢を着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄く縊りつつ、太脛が白く滑かにす・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・欣弥 一別以来、三年、一千有余日、欣弥、身体、髪膚、食あり生命あるも、一にもって、貴女の御恩……白糸 (耳にも入撫子 (身を辷らして、欣弥のうしろにちぢみ、斉しく手を支白糸 欣弥 暑いにつけ、寒いにつけ、雨にも、風に・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・戸数は三十有余にて、住民殆ど四五十なるが、いずれも俗塵を厭いて遯世したるが集りて、悠々閑日月を送るなり。 されば夜となく、昼となく、笛、太鼓、鼓などの、舞囃子の音に和して、謡の声起り、深更時ならぬに琴、琵琶など響微に、金沢の寝耳に達する・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・「……で甚だ恐縮な訳ですが、妻も留守のことで、それも三四日中には屹度帰ることになって居るのですから、どうかこの十五日まで御猶予願いたいものですが、……」「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 斯う呶鳴るように云った三・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽に、私も一人でのそのそ歩いてはすぐに飽きてしまってつまらんので、相手欲しやと思っていたところへここにおいでなさったのはあなたの因果というもの、御迷惑・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・それで、第一審の判決は大体の想像では、みんな半年位ずつ減って、上田と大川は執行猶予になるだろうということだった。上田のお母アはすっかり喜んで、お前の母にもあまりひどい事は云わなくなってきた。 判決の日に、みんな隣りの地方裁判所のあるH市・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・もはや猶予の時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後の挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・私は、一秒の猶予もなしに、態度をきめた。そのときの私には、深田氏訪問以上の仕合せを考案しているいとまがなかった。雨はあがり、雲は矢のように疾駆し、ところどころ雲の切れま、洗われて薄い水いろの蒼空が顔を見せて、風は未だにかなり勁く、無法者、街・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ あれは、八月の末であったか、アッツ玉砕の二千有余柱の神々のお名前が新聞に出ていて、私は、その列記せられてあるお名前を順々に、ひどくていねいに見て行って、やがて三田循司という姓名を見つけた。決して、三田君の名前を捜していたわけではなかっ・・・ 太宰治 「散華」
出典:青空文庫