・・・「三浦は贅沢な暮しをしているといっても、同年輩の青年のように、新橋とか柳橋とか云う遊里に足を踏み入れる気色もなく、ただ、毎日この新築の書斎に閉じこもって、銀行家と云うよりは若隠居にでもふさわしそうな読書三昧に耽っていたのです。これは勿論・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・僕が即今あらん限りの物を抛って、無一文の無産者たる境遇に身を置いたとしても、なお僕には非常に有利な環境のもとに永年かかって植え込まれた知識と思想とがある。外見はいかにも無一文の無産者であろうけれども、僕の内部には現在の生活手段としてすこぶる・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ いずれにしても、僕の耽溺した状態から遊離した心が理屈を捏ねるに過ぎないのであって、僕自身の現在の窮境と神経過敏とは、生命のある限り、どこまでもつき纏って来るかのように痛ましく思われた。 筆を改めた二日目に原稿を書き終って、これを某・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・維新の革命で江戸の洗練された文化は田舎侍の跋扈するままに荒され、江戸特有の遊里情調もまた根底から破壊されて殺風景なただの人肉市場となってしまった。蓄妾もまた、勝誇った田舎侍が分捕物の一つとして扱ったから、昔の江戸の武家のお部屋や町家の囲女の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・渠等が幅を利かすは本屋や遊里や一つ仲間の遊民に対する場合だけであって、社会的には袋物屋さん下駄屋さん差配さんたるより外仕方が無かったのである。 斯ういう生活に能く熟している渠等文人は、小説や院本は戯作というような下らぬもので無いという事・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・その他、オランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。旧き宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなかに、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・内枠だから有利だとしたり気にいってみても追っつかぬ位で、さすがの人々も今日は一番がはいるぞと気づいたが、しかしもうそろそろ風向きが変る頃だと、わざと一番を敬遠したくなる競馬心理を嘲笑するように、やはり単で来て、本命のくせに人気が割れたのか意・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ 故郷を捨てて東京に走り、その職業的有利さから東京に定住している作家、批評家が、両三日地方に出かけて、地方人に地方文学論に就て教えを垂れるという図は、ざらに見うけられたが、まず、色の黒い者に色の黒さを自覚させるために、わざわざ色白が狩り・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。よくあることではじめは気にならなかったが、プログラムが・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことは・・・ 倉田百三 「学生と教養」
出典:青空文庫