・・・ここに林のごとく売るものは、黒く紫な山葡萄、黄と青の山茱萸を、蔓のまま、枝のまま、その甘渋くて、且つ酸き事、狸が咽せて、兎が酔いそうな珍味である。 このおなじ店が、筵三枚、三軒ぶり。笠被た女が二人並んで、片端に頬被りした馬士のような親仁・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・でその望を煽るために、もう福井あたりから酒さえ飲んだのでありますが、酔いもしなければ、心も定らないのでありました。 ただ一夜、徒らに、思出の武生の町に宿っても構わない。が、宿りつつ、そこに虎杖の里を彼方に視て、心も足も運べない時の儚さに・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・痩せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味をおんだ、誠に光沢の好い児であった。いつでも活々として元気がよく、その癖気は弱くて憎気の少しもない児であった。 勿論僕とは大の仲好しで、座敷を掃くと云っては僕の所をのぞく、・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・と、僕は友人と盃の交換をした。酔いもまわったのであろう、友人は、気質に似合わず、非常にいい気持ちの様子で、にこにこ笑うている。然し、その笑いが何となく寂しいのは、友人の周囲を僕に思い当らしめた。「久し振りで君が尋ねて来て、今夜はとまって・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・また、吉弥の坐っているのがふらふら動くように見えるので、あたかも遠いところの雲の上に、普賢菩薩が住しているようで、その酔いの出たために、頬の白粉の下から、ほんのり赤い色がさす様子など、いかにも美しくッて、可愛らしくッて、僕の十四、五年以前の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「あたい、何も田島さんを好いてやしない、わ」「もう、好く好かないの問題じゃアない、病気がうつる問題だよ」「そんな物アとっくに直ってる、わ」「分るもんか? 貴様の口のはたも、どこの馬の骨か分りもしない奴の毒を受けた結果だぞ」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ それ故、維新後は本姓の服部よりは世間に通りの好い淡島と改称して、世間からも淡島と呼ばれていたが、戸籍面の本姓が小林であるばかりでなく、事実上淡島屋を別戸していた。随って椿岳の後継は二軒に支れ、正腹は淡島姓を継ぎ、庶出は小林姓を名乗った・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私は文天祥がドウ書いたか、白楽天がドウ書いたかと思っていろいろ調べてしかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名の間違いがあろうが、文法に合うまいが、かまわないで書いた文の方が私が見ても一番良い文章であって、外の人が評してもまた一・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・その手続きはどうでも好い事だから、申しません。わたくしはその男の妻だと、只今まで思っていた女です。わたくしはあなたの人柄を推察して、こう思います。あなたは決して自分のなすった事の成行がどうなろうと、その成行のために、前になすった事の責を負わ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・酒の酔いがまわると、じつにいい気持ちになった。このぶんなら、夜じゅう歩いてもだいじょうぶだというような元気が起こった。 私は、なにかみやげにする魚はないかというと、その中の一人の男が、このかにを出してくれた。 銭を払おうといっても手・・・ 小川未明 「大きなかに」
出典:青空文庫