一 陽子が見つけて貰った貸間は、ふき子の家から大通りへ出て、三町ばかり離れていた。どこの海浜にでも、そこが少し有名な場所なら必ずつきものの、船頭の古手が別荘番の傍部屋貸をする、その一つであった。 ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・当時伏字にされて今日ではうずめられないところは、その要旨を附記してそのままにされている。終りには「社会と人間の成長」がそえられた。 一九四九年三月〔一九四九年五月〕 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・客間の庭には松や梅、美しい馬酔木、榧、木賊など茂って、飛石のところには羊歯が生えていた。子供の遊ぶ部屋の前には大きい半分埋まった石、その石をかくすように穂を出した薄、よく鉄砲虫退治に泥をこねたような薬をつけられていた沢山の楓、幾本もの椿、ま・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・文化関係で、ラジオの民主化のための放送委員会、軍国主義の出版統制の遺風を民主化するための用紙割当委員会、出版文化委員会、教育の民主化、成人教育のための社会教育委員会、そのほか一九四六年から次の年の春までぐらいにつくられた委員会の多くは、正直・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・そのなかには当然言論出版の官僚統制をもたらす用紙割当事務庁法案があり、ラジオ法案がある。国会の人さえ知らないうちに用意されたこれらの法案は、形式上国会の屋根をくぐっただけで、事実上は官僚の手でこねあげられ、出来上った法律として権力をもってわ・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・夫婦は相談して、おしまの遠縁の娘とその娘に似合の若者とを養子にした。夫婦養子をしたわけだ。元気者ではあるが年とった者ばかりの家へ、極若い男は兵役前という夫婦が加ったから、生活は華やかになった。勇吉もおしまも、老年の平和な幸福が数年先に両手を・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・山田五十鈴、入江たか子、それぞれ自分の容姿をある持ち味で活かす頭はもっているといえようが、日本の映画は歴史が若くて映画としての世界が狭かったためか、女優のあたまにしろ感情にしろ、まだ奥が浅いと思う。このことには、日本の女の生活全体の歴史も反・・・ 宮本百合子 「映画女優の知性」
・・・ 始め、恭二を養子にする時だって、もう少しいい家から取るつもりで居た目算が、ひょんな事からはずれて先の見えて居る家などからもらってしまったし、又お君でも、いくら姪だと云っても、あまり下さらない女をもらってしまって、一体自分等は、どうする・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・すこし引込んだ庭かげになっているそういう石段は、夏でもひいやりとして、足もとには羊歯などが茂っていた。遠くには大勢の人気のある、しかもそこだけには廃園の趣があって優美な詩趣に溢れていた。わたしは自分の隅としてそこを愛し、謂わばその隅で生長し・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・書かれている要旨は進歩に目標をおいたものであり、ラディカルでさえあるものなのに、その文章の行間を貫く気魄において、何かが欠けていてものたりない。そういうことをしばしばきく。かえって、抑圧がひどかったとき、岩間にほとばしる清水のように暗示され・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
出典:青空文庫