・・・然るを如何なる用事あるも文を通わす可らずとは、我輩は之を女子の教訓と認めず、天下の奇談として一笑に附し去るのみ。一 身の荘も衣裳の染色模様抔も目にたゝぬ様にすべし。身と衣服との穢ずして潔なるはよし。勝て清を尽し人の目に立つ程なる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・もう用事はないから下って寝てくれい。(暫く物を案ずる様子にてあちこち歩く。舞台の奥にてヴァイオリンの音聞ゆ。物懐しげに人の心を動かす響なり。初めは遠く、次第に近く、終にはその音暖かに充ち渡りて、壁隣の部屋より聞ゆる如音楽だな。何だか不思議に・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ はしなく浮世の用事思いいだされければ朝とくより乗合馬車の片隅にうずくまりて行くてを急ぎたる我が行脚の掟には外れたれども「御身はいずくにか行き給う、なに修禅寺とや、湯治ならずばあきないにや出で給える」など膝つき合わす老女にいたわられたる・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・履歴性行等 蕪村は摂津浪花に近き毛馬塘の片ほとりに幼時を送りしことその春風馬堤曲に見ゆ。彼は某に与うる書中にこの曲のことを記して馬堤は毛馬塘なり、すなわち余が故園なりといえり。やや長じて東都に遊び、巴人の門に入りて俳・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・嘉吉は楊子をくわいて峠へのみちをよこぎって川におりて行った。それは白と鼠いろの縞のある大理石で上流に家のないそのきれいな流れがざあざあ云ったりごぼごぼ湧いたりした。嘉吉はすぐ川下に見える鉱山の方を見た。鉱山も今日はひっそりして鉄索もうごいて・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」 一郎はわらって言いました。「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう。」 山猫は、どうも言いようがまず・・・ 宮沢賢治 「どんぐりと山猫」
・・・仮令ば人間の一生は連続している、嬰児期幼児期少年少女期青年処女期壮年期老年期とまあ斯うでしょう、ところが実はこれは便宜上勝手に分類したので実は連続しているはっきりした堺はない、ですから、若し四十になる人が代議士に出るならば必ず生れたばかりの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・のフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固にもち給たべ物の中から、一寸細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直に云うならば、ラクダ印の歯磨楊子、それを見たのだ。どうもいやな説教で・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・その荒物屋というのは、ばけもの歯みがきや、ばけもの楊子や、手拭やずぼん、前掛などまで、すべてばけもの用具一式を売っているのでした。 フクジロがよちよちはいって行きますと、荒物屋のおかみさんは、怖がって逃げようとしました。おかみさんだって・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
用事があって、岩手県の盛岡と秋田市とへ数日出かけた。帰途は新潟まわりの汽車で上野へついた。 秋田へ行ったのもはじめてであったし、山形から新潟を通ったのもはじめてであった。夏も末に近い日本海の眺めは美しくて、私をおどろか・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
出典:青空文庫