・・・プロフェッサアという小説は、さる田舎の女学校の出来事を叙したものであって、放課後、余人ひとりいないガランとした校舎、たそがれ、薄暗い音楽教室で、男の教師と、それから主人公のかなしく美しい女のひとと、ふたりきりひそひそ世の中の話を語っているの・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・ 二三年まえ、罪なきものを殴り、蹴ちらかして、馬の如く巷を走り狂い、いまもなお、ときたま、余燼ばくはつして、とりかえしのつかぬことをしてしまうのである。どうにでもなれと、一日一ぱいふんぞりかえって寝て居ると、わが身に、慈眼の波ただよい、言葉・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・暗いからわからぬが、何か釜らしいものが戸外の一隅にあって、薪の余燼が赤く見えた。薄い煙が提燈を掠めて淡く靡いている。提燈に、しるこ一杯五銭と書いてあるのが、胸が苦しくって苦しくってしかたがないにもかかわらずはっきりと眼に映じた。 「しる・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・荒木又右衛門が三十余人を相手に奮闘するのを見て理屈抜きにおもしろいと思わない日本人は少ないであろう。いわゆるプロ芸術のねらいどころもここに共通点を持っているように思われる。 元来アメリカにジャズ音曲とナンセンス映画とが流行する事実は、か・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼から産れ出るのである。 現今大戦の影響であらゆる科学は応用の方面に徴発されている。応用方面の刺戟で科学の進歩する事は日常の事であるから、このために科学が各方面に進歩する事は疑い・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・何だか悪い事をするような気がするが、二十余人の口を託されているのだからやむを得ないと思った。午後四時にはもう三代吉の父親の辰五郎が白米、薩摩芋、大根、茄子、醤油、砂糖など車に積んで持って来たので少し安心する事が出来た。しかしまたこの場合に、・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・また仁明天皇の御代に僧真済が唐に渡る航海中に船が難破し、やっと筏に駕して漂流二十三日、同乗者三十余人ことごとく餓死し真済と弟子の真然とたった二人だけ助かったという記事がある。これも颱風らしい。こうした実例から見ても分るように遣唐使の往復は全・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ 雑記帳の終わりのページに書き止めてある心覚えの過去帳をあけて見るとごく身近いものだけでも、故人となったものがもう十余人になる。そのうちで半分は自分より年下の者である。これらの人々の追憶をいつかは書いておきたい気がする、しかしそれを一々・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・此ノ宵一婢ノ適予ガ卓子ノ傍ニ来ツテ語ル所ヲ聞クニ、此酒肆ノ婢総員三十余人アリト云。婢ハ日々其家ヨリ通勤ス。家ハ家賃廉低ノ地ヲ択ブガ故ニ大抵郡部新開ノ巷ニ在リ。別ニ給料ヲ受ケズ、唯酔客ノ投ズル纏頭ヲ俟ツノミ。然レドモ其ノ金額日々拾円ヲ下ラザル・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ランスロットはその日の試合に、二十余人の騎士を仆して、引き挙ぐる間際に始めてわが名をなのる。驚く人の醒めぬ間を、ラヴェンと共に埒を出でたり。行く末は勿論アストラットじゃ」と三日過ぎてアストラットに帰れるラヴェンは父と妹に物語る。「ランス・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫