・・・すると間もなく大阪から鳥居君が来たので、主筆の池辺君が我々十余人を有楽町の倶楽部へ呼んで御馳走をしてくれた。余は新人の社員として、その時始めてわが社の重なる人と食卓を共にした。そのうちに長谷川君もいたのである。これが長谷川君でと紹介された時・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・すでに空間のできた今日であるから、嘘にもせよせっかく出来上ったものを使わないのも宝の持腐れであるから、都合により、ぴしゃぴしゃ投出すと約百余人ちゃんと、そこに行儀よく並んでおられて至極便利であります。投げると申すと失敬に当りますが、粟餅とは・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
去年の春、我が慶応義塾を開きしに、有志の輩、四方より集り、数月を出でずして、塾舎百余人の定員すでに満ちて、今年初夏のころよりは、通いに来学せんとする人までも、講堂の狭きゆえをもって断りおれり。よってこのたびはまた、社中申合・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・そして、昭和十一年の調査によると、小学校を卒業した子供たちの就業する先は農業が第一位を占めていて、男子は十九万六千余人女児は十八万四千五百余人であった。 農家を維持するに必要な最小限の耕地面積は略一町七反であると云われている。 とこ・・・ 宮本百合子 「新しき大地」
いよいよ、四月十日も迫って参りました。私たち二千九十一万余人の婦人有権者は、生れてはじめて、自分たちの政治のために、一票を投じる日を迎えることとなりました。 婦人ばかりでなく、男の方たちにしろ、今度の選挙に対しては、こ・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・既に一九二八年には百三十六万五千余人が、完全に文盲をすてた。――都会人口の九三パーセント、農村人口の七九・四パーセントが過去の知的暗黒を追っぱらいつつあるのだ。――サア、本を! 新聞を!―― 字さえ読めればソヴェト同・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・卒業式の日に姿をみせなかったそれらの子供たちは、みんなどこかに働かされていて、日本の有識者年齢の最低十一歳までに四万六千余人、十三歳までの年で稼いでいるものが四十三万ほどある。この稚い働きての中で十一歳までのものでは、女の児が男児の倍の数を・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・手記をかいている少数の人々の生活でさえそうなのだから、その日その日を、どうかして生きつなごうという、もがきで疲れ果てている二十八万余人の人々の姿と心もちは、思いやられるのである。 生別、死別ということは、社会主義の世の中になっても人間の・・・ 宮本百合子 「『この果てに君ある如く』の選後に」
・・・ 昭和七年に比べると、志望者は七万余人、入学者は二万人近く増して来ていたのであった。 女戸主 選挙法の改正のことは、急に実現されないことになった模様である。 戸主という者が資格として語られはじめたとき、・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・ソヴェト同盟に約三百二十万人勤労婦人がいます、三百万余人が職業組合員です、ソヴェトの指導的任務についているのが三十万千百人、そして十六万七千六人の婦人党員のうち五七・四パーセントは労働婦人です。 入ったところから、もう机だ。長い机が・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
出典:青空文庫