・・・――その時突然桟敷の下で遊んでいた松川場主の子供がよたよたと埒の中へ這入った。それを見た笠井の娘は我れを忘れて駈け込んだ。「危ねえ」――観衆は一度に固唾を飲んだ。その時先頭にいた馬は娘の華手な着物に驚いたのか、さっときれて仁右衛門の馬の前に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・脊高き痩脛、破股引にて、よたよた。酒屋は委細構わず、さっさと片づけて店へ引込えい。はッ、静御前様。(急に恐入ったる体やあ、兄弟、浮かばずにまだ居たな。獺が銜えたか、鼬が噛ったか知らねえが、わんぐりと歯形が残って、蛆がついては堪らねえ。先刻も・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・やっぱしだめだ。まだまだこんな人相をしてるようでは金なぞ儲けれはせん。生活を立てているという盛りの男の顔つきではない。やっぱしよたよたと酒ばかし喰らっては、悪遊びばかししていたに違いない」腹ではこう思っているのであった。こうした男にいつまで・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・彼はだんだん自信を失ってゆく。もはや自分がある「高さ」にいるということにさえブルブル慄えずにはいられない。「落下」から常に自分を守ってくれていた爪がもはやないからである。彼はよたよたと歩く別の動物になってしまう。遂にそれさえしなくなる。絶望・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・老爺は、びしょ濡れになって、よたよた走り、ううむ、ううむと苦しげに呻くのである。私は、ただ叱った。「なんだ、苦しくもないのに大袈裟に呻いて、根性が浅間しいぞ! もっと走れ!」私は悪魔の本性を暴露していた。 私は、その夜、やっとわかっ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・小犬は後になり、さきになり、私の顔を振り仰ぎ、よたよた走って、とうとう私の家の玄関まで、ついてきた。「おい。へんなものが、ついてきたよ」「おや、可愛い」「可愛いもんか。追っ払ってくれ、手荒くすると喰いつくぜ、お菓子でもやって」・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・の股を蛙の手のようにひろげ、空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶の表情よろしく首をそらして左右にうごかし、よたよたよたと走って局の前まで来て、うう・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・いや、モスクワ市内の事務所役所のひける四時、四時後、九時頃まではよたよた歩きをする年頃からはじまって小学校ぐらいまでの幼童幼女で並木通りは祭だ。その間を赤衛兵が散歩する。ピオニェールが赤いネクタイをひらひらさせて通る。もちろんいかさま野師も・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・美しい十代は、小さい男性、小さい婦人たちとして、性が開花に向いつつ、それが蕾であるゆえの、まだどこか中性の清洌さを湛えていて、おとなのように生物的な負担の重さによたよたしない精神が、萌え出たばかりの新鮮な自我を核心に、長足に子供からおとなへ・・・ 宮本百合子 「若い人たちの意志」
出典:青空文庫