・・・大きな声が夜の空を劈いて四方へ響渡ったのみで、四下はまた闃となって了った。ただ相変らず蟋蟀が鳴しきって真円な月が悲しげに人を照すのみ。 若し其処のが負傷者なら、この叫声を聴いてよもや気の付かぬ事はあるまい。してみれば、これは死骸だ。味方・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ また「四方」とかいう題で、子供が朝日の方を向いて手を拡げている図などの記憶が、次つぎ憶い出されて来た。 国定教科書の肉筆めいた楷書の活字。またなんという画家の手に成ったものか、角のないその字体と感じのまるで似た、子供といえば円顔の・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・貴嬢はよも鎌倉にて初めて宮本二郎にあいたまいたる、そのころの本末を忘れたまわざるべければ。 鎌倉ちょう二字は二郎が旧歓の夢を呼び起こしけん、夢みるごときまなざし遠く窓外の白雲をながめてありしが静かに眼を閉じて手を組み、膝を重ねたり。・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・石段を登りつめると、ある家の中庭らしい所へ出た。四方板べいで囲まれ、すみに用水おけが置いてある、板べいの一方は見越しに夏みかんの木らしく暗く茂ったのがその頂を出している、月の光はくっきりと地に印して寂として人のけはいもない。徳二郎はちょっと・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・それですからおさよも事によったら内心如夜叉ではないかとこわがりながらも、自分で言いわけをこしらえて、おさよさんはまだ子供だし自分もまだ子供だからそんなこわいことはない、おさよさんが自分を可愛がるのは真実に可愛がるので決して欺すのじゃあないと・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 熊谷直好の和歌に、よもすから木葉かたよる音きけは しのひに風のかよふなりけりというがあれど、自分は山家の生活を知っていながら、この歌の心をげにもと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村居の時であった。 林に座って・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・「かかる砌なれば、庵の内には昼はひねもす、一乗妙典のみ法を論談し、夜はよもすがら、要文誦持の声のみす。……霧立ち嵐はげしき折々も、山に入りて薪をとり、露深き草を分けて、深山に下り芹を摘み、山河の流れも早き巌瀬に菜をすすぎ、袂しほれて干わ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・そして間もなく四方から二人を取りかこむようにして近づいて来た。 吉田は銃をとって、近づいて来る奴を、ねらって射撃しだした。小村も銃をとった。しかし二人は、兎をうつ時のように、微笑むような心持で、楽々と発射する訳には行かなかった。ねらいを・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・何ぞと問うに、四方幕というものぞという。心得がたき名なり。 石原というところに至れば、左に折るる路ありて、そこに宝登山道としるせる碑に対いあいて、秩父三峰道とのしるべの碑立てり。径路は擱きていわず、東京より秩父に入るの大路は数条ありとも・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 俺はその時、フト硝子戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこりをかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高いので、サン/\とふり注いでいる真昼の光が、それにはとゞいていない。それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが―・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫