・・・気の弱い彼女は、すべて古めかしい叔母の意思どおりにならせられてきた。「私の学校友だちは、みんないいところへ片づいていやはります」彼女はそんなことを考えながらも、叔母が択んでくれた自分の運命に、心から満足しようとしているらしかった。「・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・だが甞て乱暴したということもなくてどっちかというと酷く気の弱い所のあるのは彼の母の気質を禀けたのであった。彼の兄も一剋者である。彼等二人は両親が亡くなって自分等も老境に入るまでしみじみと噺をした事がない。そうかといって太十はなかなか義理が堅・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・「あんまり超越し過ぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好加減に超越して置く事にしようじゃないか。僕の足じゃとうていそうえらく超越出来そうもないよ」「弱い男だ」 筒袖の下女が、盆の上へ、麦酒を一・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ おふくろは弱い声で云った。「お母さんも眠れないんですか。わしは今までグッスリ眠ったんですよ。腹の具合は少しはいいですか?」 彼は、音のしないように髪の毛をひっ掴んだ。そして憎ったらしく、検束者をでもするように、やけに引っ張った・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・棺にも入れずに死骸許りを捨てるとなると、棺の窮屈という事は無くなるから其処は非常にいい様であるが、併し寐巻の上に経帷子位を着て山上の吹き曝しに棄てられては自分の様な皮膚の弱い者は、すぐに風を引いてしまうからいけない。それでチョイと思いついた・・・ 正岡子規 「死後」
・・・林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯れるやつも枯・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して迫って来る或る後味とでも云うべきものが、案外弱いのは何故だろう。私は、部分部分の描写の熱中が、全巻をひっくるめての総合的な調子の響を区切ってしまっていると感じ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・二郎は邸を見廻って、強い奴が弱い奴を虐げたり、諍いをしたり、盗みをしたりするのを取り締まっているのである。 二郎は小屋にはいって二人に言った。「父母は恋しゅうても佐渡は遠い。筑紫はそれよりまた遠い。子供の往かれる所ではない。父母に逢いた・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・だが彼はこの大遠征の計画の裏に、絶えず自分のルイザに対する弱い歓心が潜んでいたのを考えた。殊にそのため部下の諸将と争わなければならなかったこの夜の会議の終局を思うと、彼は腹立たしい淋しさの中で次第にルイザが不快に重苦しくなって来た。そうして・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・それができないのは弱いからです。愛が足りないからです。 私は自分の仕事のために愛する者の生活をいくらかでも犠牲にすることを恥じます。この犠牲を甘んじて受けるのは、取りもなおさず、自分の弱さを是認するのです。私は弱さに安んじたくありません・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫