・・・羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマの鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須の御名を唱えた。が、悲しみは消えないば・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・その又籠の中には栗鼠が二匹、全然何の音も立てずに止まり木を上ったり下ったりしていた。それは窓や戸口に下げた、赤い更紗の布と一しょに珍しい見ものに違いなかった。しかし少くとも僕の目には気味の悪い見ものにも違いなかった。 この部屋に僕等を迎・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ と翁が呼ぶと、栗鼠よ、栗鼠よ、古栗鼠の小栗鼠が、樹の根の、黒檀のごとくに光沢あって、木目は、蘭を浮彫にしたようなのを、前脚で抱えて、ひょんと出た。 袖近く、あわれや、片手の甲の上に、額を押伏せた赤沼の小さな主は、その目を上ぐるとひ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・そうして、栗鼠が(註、この篇の談者、小県凡杯は、兎のように、と云ったのであるが、兎は私が贔屓後脚で飛ぶごとく、嬉しそうに、刎ねつつ飛込んで、腰を掛けても、その、ぴょん、が留まないではずんでいた。 ――後に、四童、一老が、自動車を辞し去っ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・これは風情じゃ……と居士も、巾着じめの煙草入の口を解いて、葡萄に栗鼠を高彫した銀煙管で、悠暢としてうまそうに喫んでいました。 目の前へ――水が、向う岸から両岐に尖って切れて、一幅裾拡がりに、風に半幅を絞った形に、薄い水脚が立った、と思う・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・「まあ、笑われたって、どんなことがあったの。」と、お姉さんは、はやくききたかったのでした。「栗鼠のことを、くりねずみといったんで、みんなが笑ったんだ。」と、秀ちゃんが、答えたので、お姉さんも、吹き出して、「達ちゃん、おまえ、くり・・・ 小川未明 「二少年の話」
・・・「ガリスの果と知れるかノ。「オヤ、気障な言語を知ってるな、大笑いだ。しかし、知れるかノというノの字で打壊しだあナ、チョタのガリスのおん果とは誰が眼にも見えなくってどうするものか。「チョタとは何だ、田舎漢のことかネ。「ムム。・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・明日は、どうなっても、――そっとドアが開いて、あの人が栗鼠に似た小さい顔を出して、まだか? と眼でたずねたので、私は、蓮っ葉にちょっちょっと手招きして、「あのね、」下品に調子づいた甲高い声だったので私は肩をすくめ、こんどは出来るだけ声を・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・その名はドリスである。 ドリス自身には、技芸の発展が出来なくて気の毒だのなんのと云ったって、分からないかも知れない。結構ずくめの境界である。崇拝者に取り巻かれていて、望みなら何一つわないことはない。余り結構過ぎると云っても好い位である。・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・芝生の上に遊んでいた栗鼠はわれわれが近よるとそばの木にかけ上った。木の間にはきれいな鳥も見かける。ねむの花のような緋色の花の満開したのや、仏桑花の大木や、扇を広げたような椰子の一種もある。背の高いインド人の巡査がいて道ばたの木の実を指さし「・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫