・・・と、小山を倒すが如くに大きなる身を如何にも礼儀正しく木沢の前に伏せれば、丹下も改めて、「それがしが申したる旨御用い下さるよう、何卒、御願い申しまする木沢殿。」という。猶未だ頭を上げなかった男、胴太い声に、「遊佐河内守、それが・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのを至当の礼儀のように思った。 では兄さん、この残り餌を土で団めておくれでないか、なるべく固く団めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣った魚を悉皆でもいく・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・などと、まことに下手なほめ方をして外套を脱ぎ、もともと、もう礼儀も何も不要な身内の家なのですから、のこのこ上り込んで炉傍に大あぐらをかき、「ばばちゃは、寝たか。」とたずねます。 圭吾には、盲目の母があるのです。「ばばちゃは、寝て・・・ 太宰治 「嘘」
・・・けれども、若いすぐれた資質に接した時には、若い情熱でもって返報するのが作家の礼儀とも思われます。自分は、ハンデキャップを認めません。体当りで来た時には、体当りで返事をします。 今日は、君の作品に就いてだけ申し上げました。君のお手紙の言葉・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・しかし貴兄から、こう頼まれたが、工面出来ないかと友達連に相談をかけても良いものならばまた可能性の生れて来る余地あるやも知れぬが、これは貴兄に対する礼儀でないと思うので……右とり急ぎ。辻田吉太郎。太宰兄。」「手紙など書き、もの言わんとすれ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・高い土塀と深い植込とに電車の響も自ずと遠い嵐のように軟げられてしまうこの家の茶室に、自分は折曲げて坐る足の痛さをも厭わず、幾度か湯のたぎる茶釜の調を聞きながら礼儀のない現代に対する反感を休めさせた。 建込んだ表通りの人家に遮ぎられて、す・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ ○ 森鴎外先生が『礼儀小言』に死して墓をつくらなかった学者のことが説かれている。今わたくしがこれに倣って、死後に葬式も墓碣もいらないと言ったなら、生前自ら誇って学者となしていたと、誤解せられるかも知れない。そ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって然るべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事は明である。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・要するに二人の間は、年長者の監督のもとに立つある少女と、まだ修業ちゅうの身分を自覚するある青年とが一種の社会的な事情から、互いと顔を見合わせて、礼儀にもとらないだけの応対をするにすぎなかった。 だから自分は驚いたのである。重吉があがらず・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・婦人の性質粗野にして根性悪しく、夫の父母に対して礼儀なく不人情ならば離縁も然る可し。第二子なき女は去ると言う。実に謂われもなき口実なり。夫婦の間に子なき其原因は、男子に在るか女子に在るか、是れは生理上解剖上精神上病理上の問題にして、今日進歩・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫