・・・「これは国木田独歩です。轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違いありません。では五番目の龕の中をごらんください。――」「これはワグネルではありませんか?」「そうです。国王の友・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・この国の歴史に疎い彼には、折角の相手の雄弁も、半分はわからずにしまったのだった。「支那の哲人たちの後に来たのは、印度の王子悉達多です。――」 老人は言葉を続けながら、径ばたの薔薇の花をむしると、嬉しそうにその匂を嗅いだ。が、薔薇はむ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・しかし歴史を粉飾するのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではな・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・保吉は踏切りの両側に人だかりのしているのを発見した。轢死だなとたちまち考えもした。幸い踏切りの柵の側に、荷をつけた自転車を止めているのは知り合いの肉屋の小僧だった。保吉は巻煙草を持った手に、後ろから小僧の肩を叩いた。「おい、どうしたんだ・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・昨十八日午前八時四十分、奥羽線上り急行列車が田端駅附近の踏切を通過する際、踏切番人の過失に依り、田端一二三会社員柴山鉄太郎の長男実彦(四歳が列車の通る線路内に立ち入り、危く轢死を遂げようとした。その時逞しい黒犬が一匹、稲妻のように踏切へ飛び・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ 僕の姉の夫はその日の午後、東京から余り離れていない或田舎に轢死していた。しかも季節に縁のないレエン・コオトをひっかけていた。僕はいまもそのホテルの部屋に前の短篇を書きつづけている。真夜中の廊下には誰も通らない。が、時々戸の外に翼の音の・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・文芸の上に階級意識がそう顕著に働くものではないという理窟は、概念的には成り立つけれども、実際の歴史的事実を観察するものは、事実として、階級意識がどれほど強く、文芸の上にも影響するかを驚かずにはいられまい。それを事実に意識したものが文芸にたず・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・文芸上の作物は巧いにしろ拙いにしろ、それがそれだけで完了してると云う点に於て、人生の交渉は歴史上の事柄と同じく間接だ、とか何んとか。それはまあどうでも可いが、とにかくおれは今後無責任を君の特権として認めて置く。特待生だよ。A 許してくれ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・多くは一向其趣味を解せぬ所から、能くも考えずに頭から茶の湯などいうことは、堂々たる男子のすることでないかの如くに考えているらしい、歴史上の話や、茶器の類などを見せられても、今日の社会問題と関係なきものの如くに思って居る、欧米あたりから持・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・と、僕はなぐさめながら、「君は、もう、名誉の歴史を終えたのだから、これから別な人間のつもりで、からだ相応な働きをすればいいじゃアないか?」「それでも、君、戦争でやった真剣勝負を思うたら、世の中でやっとることが不真面目で、まどろこしうて、下ら・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
出典:青空文庫