・・・日本の人民のための文学の狼火として存在したプロレタリア文学運動の歴史と、文学についてのその基本的認識が、よしやどんなに大まかなものであり、不幸な傷をうけているにしろ、絶対的に存在価値をもっている所以である。 三・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・今のように特別に暑くなった時でなくても、執務時間がやや進んでから、便所に行った帰りに、廊下から這入ると、悪い烟草の匂と汗の香とで噎せるような心持がする。それでも冬になって、煖炉を焚いて、戸を締め切っている時よりは、夏のこの頃が迥かにましであ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 灸は廊下の外から呼んでみた。「お這入りなさいな。」と、婦人はいった。 灸は部屋の中へ這入ると暫く明けた障子に手をかけて立っていた。女の子は彼の傍へ寄って来て、「アッ、アッ。」といいながら座蒲団を灸の胸へ押しつけた。 灸・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・外の廊下の鈍い、薄赤い明りで見れば、影のように二三人の人の姿が見える。新しく着いた旅人がこの部屋に這入って来るのである。旅人は這入って戸を締めた。フィンクはその影がどこへ落ち着くか見定めようと、一しょう懸命に見詰めている。しかし影は声もなく・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・なのに肝を潰し、語らえばどこまでもひびき渡りそうな天井を見ても、おっかなく、ヒョット殿さまが出ていらしッたらどうしようと、おそるおそる徳蔵おじの手をしっかり握りながら、テカテカする梯子段を登り、長いお廊下を通って、漸く奥様のお寝間へ行着まし・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・門をはいると右手に庭の植え込みが見え、突き当たりが玄関であったが、玄関からは右へも左へも廊下が通じていて、左の廊下は茶の間の前へ出、右の廊下は書斎と客間の前へ出るようになっていた。ところで、この書斎と客間の部分は、和洋折衷と言ってもよほど風・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫