・・・ われわれ素人の楽器を弄するのは、云わば、楽譜の中から切れ切れの音を拾い出しては楽器にこすりつけ、たたきつけているようなもので、これは問題にならない。しかし相当な音楽家と云われる人の演奏でも、どうもただ楽器から美しい旋律や和絃を引出して・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 耳を聾するような音と、眼を眩するような光の強さはその中にかえって澄み通った静寂を醸成する。ただそれはものの空虚なための静かさでなくて、ものの充実しきった時の不思議な静かさである。 はげしい音波の衝動のために、害虫がはたしてふる・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・格式に拘泥しない自由な行き方の誹諧であるのか、機知頓才を弄するのが滑稽であるのか、あるいは有心無心の無心がそうであるのか、なかなか容易には捕捉し難いように見える。しかしもし大胆なる想像を許さるれば、古の連歌俳諧に遊んだ人々には、誹諧の声だけ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・現在科学の極限を見極めずして徒らに奇説を弄するは白昼提灯を照らして街頭に叱呼する盲者の亜類である。方則を疑う前には先ずこれを熟知し適用の限界を窮めなければならぬ。その上で疑う事は止むを得ない。疑って活路を求めるには想像の翼を鼓するの外はない・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・男女婚姻して一家に同居し、内外を区分しておの/\其一半を負担し、共に苦楽を与にして心身を労すること正しく同一様なるに、何が故に之を君臣主従の如くならしめんとするか、無稽も亦甚しと言う可し。或は戸外の業務は内事に比して心労大なり、其成跡も又大・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 然るに、今の学者はその思想を一方に偏し、ひたすら政府の政に向って心を労するのみにして、自家の領分には毫も余地を見出さざるものの如し。たとえば世に、商売工業の議論あり、物産製作の議論あり、華士族処分の議論あり、家産相続法の議論あり、宗旨・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 帝室より私学校を保護せらるるの事については、その資金をいかんするやとの問題もあれども、この一条はもっとも容易なることにして、心を労するに足らず。我が輩の持論は、今の帝室費をはなはだ不十分なるものと思い、大いにこれを増すか、または帝室御・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・外国人の見る目如何などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来す所以の大本をば擱き、徒に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩えば、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・一天張りのきわめて単調なるものとなり了りて、ただ時に檀林一派及び鬼貫らの奇を弄するあるのみ。この際に当りて蕪村は句法の上に種々工夫を試み、あるいは漢詩的に、あるいは古文的に、古人のいまだかつて作らざりしものを数多造り出せり。春雨やい・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・夏は、その下草の間で耳を聾するばかりガチャガチャが鳴いた。 杉林の隣りに細い家並があって、そこをぬける小路の先は、又広々とした空地であった。何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちら・・・ 宮本百合子 「からたち」
出典:青空文庫