・・・小作はわやわやと事務所に集って小作料割引の歎願をしたが無益だった。彼らは案の定燕麦売揚代金の中から厳密に小作料を控除された。来春の種子は愚か、冬の間を支える食料も満足に得られない農夫が沢山出来た。 その間にあって仁右衛門だけは燕麦の事で・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 子供たち大勢がわやわやいって走り寄った。クサカの方ではやや恐怖心を起して様子を見て居た。クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤り・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ すわや海上の危機は逼ると覚しく、あなたこなたに散在したりし数十の漁船は、北るがごとく漕戻しつ。観音丸にちかづくものは櫓綱を弛めて、この異腹の兄弟の前途を危わしげに目送せり。 やがて遙に能生を認めたる辺にて、天色は俄に一変せり。――・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ 向うの座敷に、わやわやと人声あり。 枝折戸の外を、柳の下を、がさがさと箒を当てる、印半纏の円い背が、蹲まって、はじめから見えていた。 それには差構いなく覗いた女が、芸者の姿に、密と、直ぐに障子を閉めた。 向直った顔が、斜め・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ 自分はあわてながらもむつかしいなと腹に思いつつなお一息と走った。 わやわやと騒がしい家の中は薄暗い。妻は台所の土間に藁火を焚いて、裸体の死児をあたためようとしている。入口には二、三人近所の人もいたようなれどだれだかわからぬ。民子、・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・は博奕打ちでとか、欺されて田畑をとられたためだとか、哀れっぽく持ちかけるなど、まさか土地柄、気性柄蝶子には出来なかったが、といって、私を芸者にしてくれんようなそんな薄情な親テあるもんかと泣きこんで、あわや勘当さわぎだったとはさすがに本当のこ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・「もう通らなんだら、私立を受けさしてまで中学へやらいでもえいわやの。家のような貧乏たれに市の学校へやって、また上から目角に取られて等級でもあげられたら困らやの。」と、おきのは源作に云った。 源作は黙っていた。彼も、私立中学へやるのだ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・これゃ、何もかもわやじゃ!」 親爺はぴっくりして、鶏の糞だらけの鶏小屋の前で腰をぬかしていた。「どうしたんじゃ? どうしたんじゃ?」「これゃ、わやじゃ。 何もかもすっかりわやじゃ。来てくれい! どうしよう? どうしよう?」 ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ただわやわや騒いでいたいのですよ。一点の誠実もありません。あなたはまだごぞんじないかも知れないが明後日、馬場と僕と、それから馬場が音楽学校の或る先輩に紹介されて識った太宰治とかいうわかい作家と、三人であなたの下宿をたずねることになっているの・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 恋という字の耳に響くとき、ギニヴィアの胸は、錐に刺されし痛を受けて、すわやと躍り上る。耳の裏には颯と音がして熱き血を注す。アーサーは知らぬ顔である。「あの袖の主こそ美しからん。……」「あの袖とは? 袖の主とは? 美しからんとは・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫