・・・ 二、三日してアパートの部屋に、金木犀の一枝を生けて置いた。その匂いが私の孤独をなぐさめた。私は匂いの逃げるのを恐れて、カーテンを閉めた。しかし、その隙間から、肌寒い風が忍び込んで来た。そして私のさびしい心の中をしずかに吹き渡った。それ・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ その夜、その女といっしょに千日前の寿司捨で寿司を食べ、五十銭で行けと交渉した自動車で女のアパートへ行った。商人コートの男に口説かれていたというただそれだけの理由で、「疳つりの半」へ復讐めいて、その女をものにした。自分から誘惑しておいて・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ そして天下茶屋のアパートの前へ車をつけると、シートの上へ倒れていた彼はむっくり起き上って、袂の中から五円紙幣を掴み出すと、それをピリッと二つに千切って、その半分を運転手に渡した。そして、何ごともなかったように、アパートの中へはいって行・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・二 早くから両親を失い家をなくしてしまった私は、親戚の家を居候して歩いたり下宿やアパートを転々と変えたりして来たためか、天涯孤独の身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界・・・ 織田作之助 「世相」
・・・という道子を無理矢理東京の女子専門学校の寄宿舎へ入れ、そして自分は生国魂神社の近くにあった家を畳んで、北畠のみすぼらしいアパートへ移り、洋裁学院の先生になったその日から、もう自分の若さも青春も忘れた顔であった。 妹の学資は随分の額だのに・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
今もそのアパートはあるだろうか、濡雑巾のようにごちゃごちゃした場末の一角に、それはまるで古綿を千切って捨てたも同然の薄汚れた姿を無気力に曝していた。そのあたりは埋立地のせいか年中じめじめした湿気が去らなかった。日の射さぬ中・・・ 織田作之助 「道」
・・・ 小沢は両親も身寄りもない孤独な男だったが、それでも応召前は天下茶屋のアパートに住んでたのだから、今夜、大阪駅に著くと、背中の荷物は濡れないように駅の一時預けにして、まず天下茶屋のアパートへ行ってみた。 しかし、跡形もなかった。焼跡・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・瞳を勝山通のアパートまで送って行き、アパートの入口でお帰りと言われて、すごすご帰る道すうどんをたべ、殆んど一文無しになって、下味原の家まで歩いて帰った。二人の雇人は薄暗い電燈の下で、浮かぬ顔をして公設市場の広告チラシの活字を拾っていた。赤玉・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・草の庵でも、コンクリート建築の築地本願寺でも、アパートの三階でも信仰の身をおくことは随意である。そういう形の上に信仰の心があるのではない。モダンが好みならどんな超モダンでもいい、ただその中に包まれた信仰の心がないのがいけないのである。薄っぺ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・まで、新宿のバアで女給さんをしていたひとで、その女給時代に、筋のいいお客を私の店に連れて来て飲ませて、私の家の馴染にしてくれるという、まあ蛇の道はへび、という工合いの附合いをしておりまして、そのひとのアパートはすぐ近くでしたので、新宿のバア・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫