・・・ 五 アラビア海から紅海へ四月二十日 昨夜九時ごろにラカジーブ島の燈台を右舷に見た。これからアデンまで四五日はもう陸地を見ないだろうと思うと、心細いよりはむしろゆっくり落ちついたような心持ちがした。朝食後甲板・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ アラビアの詩にも十五種ほどもミーターの種類があるらしいが、その中でも十五、十五の連続あるいは八、八、八、八の連続などは乱暴に読めば短歌風に読まれなくはない。前者の例は。。 ギリシアのエピグラムの二行詩は形の上で・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・ また考え直してみると日本という国は不思議な国であって古い昔から幾度となく朝鮮や支那やペルシアやインドや、それからおそらくはヘブライやアラビアやギリシアの色々の文化が色々の形のチューインガムとなって輸入され流行したらしいのであるが、それ・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・それからまたアラビアの四弦の胡弓にシェルシェンクというのがあるのも妙である。 シナの洞簫、昔の一節切、尺八、この三つが関係のある事は確実らしい。足利時代に禅僧が輸入したような話があるかと思うと、十四世紀にある親王様が輸入された説もある。・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・のみならずこのシュテンドウシがアラビアから来たマレイ語で「恐ろしき悪魔」という意味の言葉に似ており、もう一つ脱線すると源頼光の音読がヘラクレースとどこか似通ってたり、もちろん暗合として一笑に付すればそれまでであるが、さればと言って暗合で・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・特にあのアラビア人のような名前のついた一団の自由自在に跳躍する翻筋斗の一景などは見るだけで老人を若返らせるようなものである。見るものは芸ではなくして活きる力である。 踊る女の髪の毛のいろいろまちまちなのが当り前だがわれわれ日本人の眼には・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・いっその事全部分からないアラビア語ででもあればかえって楽であろうが、困った事には時々ところどころ分かる日本語であるからいけないのである。注意が自然と其方に向かうのを引戻し引戻しするための努力の方が、努めて聞こうとする場合の努力よりもさらに大・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・によると、アラビアのムタカリムンと称する一派の学者は時を連続的と考えないで、個々不連続な時点の列と考えている。しかしてやはり人間感覚に限界のあるという事で、この説の見かけ上の不都合を弁護しているそうである。これも注意すべき事である。 R・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・ 粘土と平ったい石片とで築かれたアラビア人の城砦の廃墟というのへ登り、風にさからって展望すると、バクーの新市街の方はヨーロッパ風の建物の尖塔や窓々で燦めいている。けれども目の下の旧市街は低い近東風の平屋根の波つづきで、平屋根の上には大小・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・事務所は、どこもアラビア糊のような匂いがした。ひろ子は父にことわり、その許しが出ないと、半地下室で青写真が水槽に浮いている素晴らしいみものさえ、勝手に見にはゆかなかった。 日本ではじめての日の目を見るようになった赤旗編輯局のきたない壁も・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫