ウィーンかいぎ【ウィーン会議】
1814年から15年にかけてウィーンで開かれた国際会議。フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序の回復を図ったもので、ウィーン議定書が調印され、革命前の状態への復帰をめざす正統主義と、大国の勢力均衡とを二大原則とするウィーン体制が成立した。この会議は諸国の利害が対立して遅滞し、「会議は踊る、されど会議は進まず」と風刺された。
ウィーンがくだん【ウィーン学団】
1920年代後半に哲学者シュリックを中心としてウィーンで結成された、主に社会科学者・自然科学者などの一団。形而上学の解消や哲学の科学化を目ざし、実証主義と記号論理学を結びつけ論理実証主義の進展に寄与、また分析哲学が生じるきっかけをつくった。
ウィーンがくは【ウィーン学派】
⇒オーストリア学派
ウィーンこくりつかげきじょう【ウィーン国立歌劇場】
ウィーンにあるオーストリア国立の歌劇場。1869年、宮廷歌劇場として創設された。マーラー、R=シュトラウス、カラヤンなどが監督を務めている。1999年に民営化。
ウィーンこてんは【ウィーン古典派】
18世紀後半から19世紀前半にわたって、ウィーンを中心に創作活動を行った古典主義の作曲家の総称。ハイドン・モーツァルト・ベートーベンらが代表的。
ウィーンじょうやく【ウィーン条約】
オーストリアの首都ウィーンで締結された条約。 1815年に調印されたウィーン議定書。 《「オゾン層の保護のためのウィーン条約」の略称》1985年にウィーンで調印された、オゾン層保護に関する条約。ユネップ(国連環境計画)の提唱によるもので、オゾン層破壊の原因となるフロンガス消費規制などを内容とする。 《「原子力損害に対する民事責任に関するウィーン条約」の略称》1963年に国際原子力機関(IAEA)で採択された、原子力損害賠償に関する国際条約。1977年発効。中東欧・中南米のIAEA加盟国およびロシアなどが締約。→シー‐エス‐シー(CSC) 《「領事関係に関するウィーン条約」の略称》領事館などの領事機関の設置、領事の任務、特権と免除、待遇などを規定した国際条約。1963年国連で合意。1967年発効。日本は1983年加入。領事関係条約。領事関係ウィーン条約。ウィーン領事関係条約。 《「外交関係に関するウィーン条約」の略称》外交使節団の任務、派遣と接受、待遇、特権と免除などを規定した国際条約。1961年にウィーンで開催された外交会議で採択。1964年発効。この条約の解釈や適用に関する紛争は国際司法裁判所に付託される。ウィーン外交関係条約。外交関係ウィーン条約。外交特権条約。
ウィーンだいがく【ウィーン大学】
《Universität Wien》ウィーンにある総合大学。1365年ルドルフ4世の創設。パリ大学をモデルに整備されたため、典型的な中世大学として発展した。18世紀半ばにはマリア=テレジアの教育改革により、ヨーロッパ有数の学術機関としての地位を確立し、特に医学・法学・歴史学などの分野でウィーン学派(オーストリア学派)を形成した。
ウィーンのもり【ウィーンの森】
《Wienerwald》オーストリアの首都、ウィーンの西部郊外に広がる森。実質的にはアルプス山系の最北端に相当する山で、面積は約1250平方キロメートル。ヨハン=シュトラウスの名曲「ウィーンの森の物語」で知られる。市民の行楽地としても人気が高い。
ウィーンもん【ウィーン門】
《Bécsi kapu》ハンガリーの首都ブダペストにある石造の城門。ブダ城がある王宮の丘の北側に位置する。1936年、オスマン帝国からの解放250年を記念して建造された。広場の周囲にはルーテル派教会があるほか、15世紀から18世紀頃の家並みが残っている。ベーチ門。
ウィーンがくゆうきょうかい【ウィーン楽友協会】
ウィーンにあるクラシック音楽の団体。1812年設立。を管理・運営する。楽友協会。ムジークフェライン。 ウィーンにあるクラシック音楽の演奏会場。複数のホールと資料室などからなり、により管理・運営される。「黄金のホール」と呼ばれる大ホールは1870年の開場で、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(VPO)の本拠地。毎年元日に、VPOによるニューイヤーコンサートが開催される。楽友協会。ムジークフェライン。