・・・彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえをもって故国フランスを逐われ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れ来りし者でありました。ユグノー党の人はいたると・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・牧場は百坪ほどのひろさであってオランダげんげが敷きつめられ、二匹の牛と半ダアスの豚とが遊んでいた。チャリネはこの牧場に鼠色したテントの小屋をかけた。牛と豚とは、飼主の納屋に移転したのである。 夜、村のひとたちは頬被りして二人三人ずつかた・・・ 太宰治 「逆行」
・・・上等のオランダ麻で拵えた、いい襟であった。オランダと云うだけは確かには分からないが、番頭は確かにそう云った。ベルリンへ来てからは、廉いので一度に二ダズン買った。あの日の事はまだよく覚えている。朝応用美術品陳列館へ行った。それから水族館へ行っ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・店には頭の禿げた肥った主人が居て、B君と二言三言話すと、私の方を見て、何か云ったがそれはオランダ語で私には分らなかった。 店のすぐ次の間に案内された。そこは細長い部屋で、やはり食堂兼応接間のようなものであったが、B君のうちのが侘しいほど・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ ついでながら西洋の糸車は「飛び行くオランダ人」のオペラのひと幕で実演されるのを見たことがある。やっぱり西洋の踊りのように軽快で陽気で、日本の糸車のような俳諧はどこにもない。また、シューベルトの歌曲「糸車のグレーチヘン」は六拍子であって・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ 彼が新知識、特にオランダ渡りの新知識に対して強烈な嗜慾をもっていたことは到る処に明白に指摘されるのであるが、そういう知識をどこから得たか自分は分からない。しかし『永代蔵』中の一節に或る利発な商人が商売に必要なあらゆる経済ニュースを蒐集・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・芸人だとかいうオランダ人の一行らしい。この声が耳についてなかなか寝られなかった。それで昼食後に少し寝たいと思うと、今度はまたテノルの唱歌で睡眠を妨げられた。 午後九時から甲板で舞踏会を催すという掲示が出た。それに署名された船長の名前がい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・この人は反ナチ作家で、ヒトラーが政権を確立させてからはオランダで、『ザンムルング』という反ナチの文学雑誌を発行していた。ロシアの作曲家チャイコフスキーを題材とした「悲愴交響曲」という作品がある。二男は歴史家であるゴロ・マン。次女モニカはハン・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ 私のいたニューヨークに、昔オランダ人が上陸した当時から開かれたガリーンウィッチ・ビレージと云う街があります。そこは芸術家の多く住む気取った一区画として知られていますが、そこの若い人々が出している『プレー・ボーイ』という同人雑誌などは、・・・ 宮本百合子 「アメリカ文士気質」
一 カールの持った「三人の聖者」 ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
出典:青空文庫