・・・ これは日本と関係のないよその話ではあるが、自分の知るところでは一九一〇年ごろのカイゼル・ウィルヘルム第二世は事あるごとに各方面の専門学術に熟達したいわゆるゲハイムラート・プロフェッソルを呼びつけて、水入らずのさし向かいでいろいろの科学・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ドイツでは一八九九年以来高層気象観測所を公設し、ことにカイゼル自身がこの方に力瘤を入れて奨励した。カイゼルの胸裡にはその時既に空中襲英の問題が明らかに画かれていたと称せられている。これに反して英国で高層観測事業が一私人ダインスの手から政府に・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・例えばカイゼルでもチャップリンでも……」と云ったそうである。それはとにかく、グロテスク美術が自然や文明の脅威から生れるものとすれば、あらゆる意味で不安な現代日本で産み出される絵画がこういう傾向をとる事は怪しむに足らないかもしれない。今の人間・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・他の国を旅行して帰りにドイツの国境を超えると同時に、この緊張がいつも著しく眼についた、すべてのものがカイゼルの髭のように緊張していた。英国へ渡るとなんだか急に呑気になった、巡査を見ても牛乳屋を見ても誰を見ても一様に呑気な顔をしていた。あまり・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・それによつてアメリカ人は、世界大戦の責任者をカイゼルとニイチェとの罪に帰した。 日本に於けるニイチェの影響は、しかしながら皆無と言ふ方が当つて居る。日本の詩人で、多少でもニイチェの影響を受けたと思はれる人は、過去にも現在にも一人も居ない・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ロシアのツァーリズムの絶対主義政治、ドイツのカイゼルの軍国主義政治その他中欧諸国で皇国とか、国王とかは、急速により民主的な権力に交替した。その中で社会生産のしくみまでを進歩させて、より人民の多数の生活向上の目的に沿う可能性がますような社会主・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・昔ドイツのカイゼルが三つのKと云った言葉はヒットラーの代になって子持の母への賞金とか独身税とかになって現れている。日本では良妻賢母という言葉によっては既に新しい刺戟を与えられないが、服飾や愛の技巧の研究に女が公然と物を云うようになると同時に・・・ 宮本百合子 「日本の秋色」
出典:青空文庫