・・・のみならずそのボオトの残した浪はこちらの舟ばたを洗いながら、僕の手をカフスまでずぶ濡れにしていた。「なぜ?」「まあ、なぜでも好いから、あの女を見給え。」「美人かい?」「ああ、美人だ。美人だ。」 彼等を乗せたモオタア・ボオ・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 私はこう言いながら、両手のカフスをまくり上げて、暖炉の中に燃え盛っている石炭を、無造作に掌の上へすくい上げました。私を囲んでいた友人たちは、これだけでも、もう荒胆を挫がれたのでしょう。皆顔を見合せながらうっかり側へ寄って火傷でもしては・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・「何を立って見とるのや」兄が怒ったようにからかうと、信子は笑いながら捜しに行った。「ないわ」信子がそんなに言って帰って来た。「カフスの古いので作ったら……」と彼が言うと、兄は「いや、まだたくさんあったはずや。あの抽出し見たか・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって撮影を進行させ、出たとこ勝負のショットをたくさんに集積した上で、その中から截断したカッティングをモンタージュにかけて立派なものを作ることも可能であろうが、経済的の考慮から、そういう気楽な方法はいつで・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・二年振りで横浜へ上陸して、埠頭から停車場へ向かう途中で寛闊な日本服を着て素足で歩いている人々を見た時には、永い間カラーやカフスで責めつけられていた旅の緊張が急に解けるような気がしたが、この心持は間もなく裏切られてしまわねばならなかった。その・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・垢だらけの綿ネルシャツの袖口は金ボタンのカフスと相接した。乗換切符の要求、田舎ものの狼狽。車の中は頭痛のするほど騒しい中に、いつか下町の優しい女の話声も交るようになった。 木挽町の河岸へ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがある・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 二、つめくさのあかり それからちょうど十日ばかりたって、夕方、わたくしが役所から帰って両手でカフスをはずしていましたら、いきなりあのファゼーロが、戸口から顔を出しました。そしてわたくしが、まだびっくりしているう・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・今思えば、白いレース・カーテンのような布地をふわり長くこしらえて、カフスのところとカラーのところが水色の絹うち紐でしぼられ、その紐が飾り房としてたれていた。その服を着て、海老茶色のラシャで底も白フェルトのクツをはいた二十九歳の母が、柔かい鍔・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・只、三十年前に指環、カフス・ボタンのような小物を買った店が、現在でも同様趣味のある小物を売っているので、懐しがっておりました。私に、折角ロンドンにいるのだから大英博物館だけは毎日でも行って見て置けと頻りにすすめました。特にギリシア室を見ろと・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・お洒落ではなかったが、髭は必ず毎朝剃り、カラアは毎朝とりかえ、ホワイト・シャツも一日おき位にとりかえ、そのホワイト・シャツのカフス・ボタンをはめるのが私の役でした。その頃は今のようにソフトをつかわず、西洋洗濯から糊がごわごわについてテラリと・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
出典:青空文庫