・・・印半纏の威勢のいいのでなく、田船を漕ぐお百姓らしい、もっさりとした布子のなりだけれども、船大工かも知れない、カーンカーンと打つ鎚が、一面の湖の北の天なる、雪の山の頂に響いて、その間々に、「これは三保の松原に、伯良と申す漁夫にて候。万・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 俊吉は突伏した。 血はまだ溢れる、音なき雪のように、ぼたぼたと鳴って留まぬ。 カーンと仏壇のりんが響いた。「旦那様、旦那様。」「あ。」 と顔を上げると、誰も居ない。炬燵の上に水仙が落ちて、花活の水が点滴る。 俊・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・ 声は、カーンと響いて、真暗になった。――隧道を抜けるのである。「思わず畜生! と言ったが夢中で遁げました。水車のあたりは、何にもありません、流がせんせんと響くばかり静まり返ったものです。ですが――お谷さん――もう分ったでしょう。欄・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。 次つぎ止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・しかしこの手造りのボールがバットの頭にカーンとくる手ごたえは今でも当時の健児らの「若かりし日」の夢の中からかなりリアルに響いてくるものの一つである。ミットなどは到底手に入らなかった。この思い出を書いている老書生の左手の薬指の第一関節が二十度・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ ふと表の河岸でカーンカーンと岩を叩く音がした。二人はぎょっとして聞き耳をたてた。 音はなくなった。(今頃探鉱嘉吉は豆の餅を口に入れた。音がこちこちまた起った。(この餅拵えるのは仙台領嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・ 署長さんは落ち着いて、卓子の上の鐘を一つカーンと叩いて、赤ひげのもじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。 さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。 いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・大学士はカーンと鳴った。もう喰われたのだ、いやさめたのだ。眼がさめたのだ、洞穴はまだまっ暗で恐らくは十二時にもならないらしかった。そこで楢ノ木大学士は一つ小さなせきばらいをしまだ雷竜がいるようなのでつくづ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
出典:青空文庫