・・・歓楽湧くが如き仮装の大舞踏会の幕が終ると、荒涼たる日比谷原頭悪鬼に追われる如く逃げる貴夫人の悲劇、今なら新派が人気を呼ぶフィルムのクライマックスの場面であった。 風説は風説を生じ、弁明は弁明を産み、数日間の新聞はこの噂の筆を絶たなかった・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・その各々の自我を実現せしめんがためである。 かような人格価値主義に対して幸福主義――自己の快楽の追求から社会の福利の増進にいたるまでの広汎な功利主義の倫理学が立つ。そのクライマックスはシヂウィックの「最大多数の最大幸福」の説である。幸福・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・これは新派の芝居のクライマックスによく利用せられていて、「ねえさん! 飲ませて! たのむわ!」 と、色男とわかれた若い芸者は、お酒のはいっているお茶碗を持って身悶えする。ねえさん芸者そうはさせじと、その茶碗を取り上げようと、これまた・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・私の混乱は、クライマックスに達した。日本の内地ではないかと思った。それでは方角があべこべだ。朝鮮。まさか、とあわてて打ち消した。滅茶滅茶になった。能登半島。それかも知れぬと思った時に、背後の船室は、ざわめきはじめた。「さあ、もう見えて来・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・の夜の真心 前説と同様な意味で、この映画はたとえ何十回競馬を見物に行っても味わうことの六かしいと思われる競馬というスポーツの最高度のスリルを味わわせる映画で、すべての物語の筋道などは、ただこのクライマックスの競馬の場面の鋭いスリルを・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・最後のクライマックスとして、荒野を吹きまくる砂風に乗じていわゆる「アジアのあらし」が襲来する場面がある。これは自分のようなテンポののろい頭には少しごたごたしすぎているような気がした。ただ錯雑した混乱のあらしの中に、時々瞬間的に映出される白馬・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・あの前編前半のクライマックスを成す刃傷の心理的経過をもう少し研究してほしいという気がする。自分の見る点では、内匠頭はいよいよ最後の瞬間まではもっとずっと焦躁と憤懣とを抑制してもらいたい。そうして最後の刹那の衝動的な変化をもっと分析して段階的・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 二マイルも離れた川から水路を掘り通して旱魃地に灌漑するという大奮闘の光景がこの映画のクライマックスになっているが、このへんの加速度的な編集ぶりはさすがにうまいと思われる。 ただわれわれ科学の畑のものが見ると、二マイルもの遠方から水・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・という一編のクライマックスがあって、さて最後には消防隊が引き上げる光景、クジマの顔には焼けど、額には血、目の縁は黒くなって、そうして平気で揚々と引き上げて行くところで「おしまい」である。 紙芝居にしても悪くはなさそうである。それはとにか・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・はじめは仇打ち事件の素因への道行であり、次に第一のクライマックスの殺し場がある。その次に復讐への径路があって第二の頂点仇打ちの場になる。そうして結局の大団円なりエピローグが来る。そういう形式がかなりはっきりしているのが目につく。 映画の・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
出典:青空文庫