・・・同人雑誌であってもその中で積極的な能力を示す、人々のヘゲモニーのもとに一つのせまい文壇的流派にあつめようとするよりも、むしろ、これまで、より細分された文学愛好者グループとして、旧い文学と文壇潮流からうけて来ている個性の偏倚や文学観のかたより・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ ですから、さっきの親子の関係でもわかるように、家庭というものが本当に社会的保障の上につくられるものとなり、銘々が社会人として独立した社会的な保護をうけ、そういう人たちが愛情によって集ったグループが家庭ならば、今までのわれわれの家庭にお・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・単に会合というような機会だけに限らず、お互が心置きなく雑談できるような小さいグループもできれば結構だと思います。私など小説を書いているというだけで、文壇的な交際というものは殆んどありません。女の人では野上さんとか、網野さんとかいう方がありま・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・は既に文学上のグループとして解体していたが、昭和五年に出来た十三人倶楽部による「新興芸術派」の運動は、中村武羅夫の「花園を荒す者は誰だ」という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
内外の複雑な関係によってプロレタリア作家が組織を解体してから、ほぼ一ヵ年が経過した。その困難な期間に発刊されたさまざまの文化・文学雑誌は、編輯同人のグループはそれぞれに別個だし、編輯方針の細部でもそれぞれのある独自性を発揮・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・そういうグループの作家の語彙には非常に「苦悩」とか「汚辱」とかいう言葉が多くつかわれます。その代表的なのが、高見順の「わが胸の底のここには」という『新潮』に連載されている作品です。文学好きというような人には、そうとう読まれていると思う。・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・作家同盟のなかに、同伴者作家団などというものが別箇なグループをなして包括され得るという理解はなり立たぬ。作家同盟が特に同伴者「的」、或いは同盟者「的」作家を包含するという所以である。 また同伴者作家というものを考えて見ても、それは決して・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・の職場で働いていた連中だ。大部分がコムソモールだ。「トラム」のグループなんかは日常生活まで共産制にしてやっている。ソヴェトには、劇場の標準形態とでもいうようなきめがある。工場や役所にあると同じ「赤い隅」「図書部」「討論」「研究会」定期的集会・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・提案は研究され、生産場面との結合は大切であるが作家を産業別にグループわけすることは、文学活動を固定させる危険があるから適当でないと結論された。ソヴェト作家はこの時期に別に一つの意義ある進歩をした。プロレタリア文学戦線の、赤軍・赤艦隊への拡大・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・けれどもその半面では、ドストイェフスキーばりの椎名麟三の作品が流行しはじめ、また新日本文学会と同時に活動をはじめた『近代文学』のグループが、つかみかかる相手をとりちがえたような熱中ぶりで近代的な「自我」の確立のためにと、過去のプロレタリア文・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
出典:青空文庫