・・・杉の梢が日を遮り、この径にはいつも冷たい湿っぽさがあった。ゴチック建築のなかを辿ってゆくときのような、犇ひしと迫って来る静寂と孤独とが感じられた。私の眼はひとりでに下へ落ちた。径の傍らには種々の実生や蘚苔、羊歯の類がはえていた。この径ではそ・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこの科学者の出現と結び付けられる事になった。この土地における彼の幼年時代について知り得られる事実は遺憾ながら極めて少ない。ただ一つの・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・そればかりでなく、彼はまた曲線的なるゴチック式の建築が能くかの民族の性質を伝るように、この方形的なる霊廟の構造と濃厚なる彩色とは甚だよく東洋固有の寂しく、驕慢に、隔離した貴族思想を説明してくれる事を喜んだ。なおそれのみに止まらず、紅雨は門と・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・壁にそいて右の方にゴチック式の暗色の櫃あり。この櫃には木彫の装飾をなしあり。櫃の上に古風なる楽器数個あり。伊太利亜名家の画ける絵のほとんど真黒になりたるを掛けあり。壁の貼紙は明色、ほとんど白色にして隠起せる模様及金箔の装飾を施せり。・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 目白の女子大学には、まだ成瀬校長が存命であって、私が英文予科の一年に入ったときは、ゴチックまがいの講堂で一人一人前へ出て画帳のようなものへ毛筆で何か文句を書かされたりした。私は大変本気な顔つきで、求めよ、さらば与へられん、という字を書・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・どっちも一寸しめっぽくて、ひやっこくて――帝大のブルジョア大学らしいネオ・ゴチックの建物を眺めながら歩いていると、実に三年ぶりの日本の秋だ。 空を飛んで来たブルース夫人は日本及朝日新聞社へ着陸した。彼女は飛行帽をぬぎながら愛嬌よく云った・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・初めどんな物をかこうかと相談して下すったので、第一部はゴチック第二部はアンチックと云う風にして下さいと願った。アンチックは造做は無いが、ゴチックはなんにしようかと、太田さんは迷って、随分暇を潰してあれを捜して下すった。即ちミュンステルのドオ・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
出典:青空文庫