・・・これは人間の祖先の猿が手で樹枝からぶら下がる時にその足で樹幹を押えようとした習性の遺伝であろうと言った学者があるくらいであるから、猫の足踏みと文明人のダンスとの間の関係を考えてみるのも一つの空想としては許されるべきものであろう。・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・その時分にはダンスはまだ流行していなかったのだ。 麻布に廬を結び独り棲むようになってからの事である。深夜ふと眼をさますと、枕元の硝子窓に幽暗な光がさしているので、夜があけたのかと思って、よくよく見定めると、宵の中には寒月が照渡っていたの・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 女の裸体ダンスを見せる事について思出したことがあるから、ここに補って置く。それは大正十年頃、東京市中にダンス場ができ始めた頃である。新橋赤坂辺の茶屋の座敷で、レコードの伴奏で裸体ダンスを見せる女があった。一時評判になって前の日から口を・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・ブルジョアが住んでいた時分はここでダンスでもやったのでしょう。今はレーニンの肖像が飾ってある。寄木の床です。「集会はいつもここでやるんです」 通りぬけた先が男の子たちの寝室です。こっちも仲々キチンと片づいています。が、面倒くさそうに・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・リス、楓、ぬれて横わるパン、インディアン ダンス○図書館 ○往来、 插話は此処へ入る。 ――○――○レークジョージ ○メゾン ファシール、 ○チョプスイ。○アムステルダム ○岩本さんのところ。○バン コートランド。・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・ この発言は、一九四七年の二・一ストとよばれている時期の前後に日本の勤労生活者の文化水準は半封建的でおくれているから、文学の創造をいうよりもダンスが直接にそれらの人々の文化欲求をみたすものであるという考えが一部におこった。この期間、実際・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・音楽にも軽音楽やダンス・ミュージック、みんなが口ずさむようないろいろな歌。舞踊でもこのごろはやっているスクウェアー・ダンスのようなものが娯楽のためのダンスであって、芸術としてのバレーとは自然ちがいます。映画や演劇は、芸術性と娯楽性のもっとも・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
・・・美男の良人につかまって数番の初等トウダンスと両脚を床の上で一直線に展くことをおそわった時 ターニャ・イワノヴナは自分の姙娠したことを知った。踊りての良人は不機嫌に「僕あ赤坊なんぞいらないよ」と云った。ターニャ・イワノヴナは 人工流産・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・という文化人のダンス・パーティーである流行作家の夫人に「さよならダンス」というのを教え、その夫人は、「男も女もお辞儀して――とても気持がいい。なんか貴族になった気持で――。」と語っているのは、ヨーロッパの十八世紀ごろの宮廷の模様が映画などを・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・ソヴェト同盟じゅうの労働者クラブが、演説、音楽、ダンス、芝居と、それぞれ趣向をこらして、記念の一晩を有益に愉快にすごす仕度をととのえているのである。 ニーナとナターシャとは、期待で眼を輝やかせながら、クラブの戸をあけて入って行った。今夜・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の三月八日」
出典:青空文庫