・・・ 一九一八年に数ヵ月ニューヨークへ出かけた折の分も散逸してしまって居り、一九二九年五月、一家を引連れてヨーロッパ旅行した節のも、これぞというのがありません。この旅行の初めに、やはり父の気持ではエハガキ通信をつづけるつもりであったらしく、・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ ニューヨークの寄宿舎では豌豆がちの献立であったから腹がすいて困った。その時、デスクの上で何時かしらと眺めるのも、その時計であった。 ところが、二年ばかりすると、動かなくなってしまった。ウォルサムの機械の寿命がそんな短いわけはない。・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・アメリカの大審院判事W・O・ダグラスというひとがニューヨークのある晩餐会で話したという言葉がつたえられている。「いまや世界の各地には、かつてアメリカでおこなわれたと同じような革命が進行しつつある。大切なのはこれにたいする管理と指導である。将・・・ 宮本百合子 「「人間関係方面の成果」」
・・・十一月十一日、ニューヨークの小さなホテルの露台に立ってヨーロッパ大戦休戦当日の光景を見下ろした。一九一〔九〕年ニューヨークで結婚。「美しき月夜」十二月帰朝。一九二〔〇〕年この年から足かけ四・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・外債募集のためアメリカへやって来た何とかいう世界地図にものっていないような弱小国の麗わしい姫が、ニューヨークへついて間もなくオタフク風にとりつかれてしまったので、その身代りを瓜二つな容姿をもった一人の貧乏で悧※な失業女優がつとめて、終りには・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・ ヨーロッパ大戦が終る年父につれられて私はアメリカへ行き、ニューヨークに一年いる間に、無一文の言語学をやるひとと結婚した。 この結婚は当時新聞が、百合子はアメリカにごろついていた洗濯屋と夫婦になったなどと書いたりしたことがあり、両親・・・ 宮本百合子 「母」
婦人デーといえば、三月八日と誰でも知っていることではあるが、そのおこりは、どういうところからはじまったのだろう。 婦人デーのきっかけとなった事件は、一九〇四年三月八日ニューヨーク市の東区の社会主義婦人同盟の人たちが、婦・・・ 宮本百合子 「婦人デーとひな祭」
・・・アメリカの文明の程度というとき、ニューヨークの郊外にトタン屑をふき合わせた小舎がけで辛くも生存している失業者たちの生活にテレヴィジョンが入っていないから、という点ではいわれないのである。 けれども、文化というと、それぞれの文明の諸相が、・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・第三者として考えてみてもそれはそうだと思う。ニューヨークのあの摩天楼の櫛比した上に巨大な破壊力がおちかかる時の光景を想像すれば、どんな蒙昧な市民も、それが、ノア洪水より、惨な潰滅の姿であることを理解するだろう。もし、アメリカの市民感情に戦争・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・九三年正月初めてニューヨークに現われた時には、ヒュネカアの語を藉れば She attracted a small band of admirable lunatics who saw her uncritically as a symbol・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫