・・・ 大川の流れを見るごとに、自分は、あの僧院の鐘の音と、鵠の声とに暮れて行くイタリアの水の都――バルコンにさく薔薇も百合も、水底に沈んだような月の光に青ざめて、黒い柩に似たゴンドラが、その中を橋から橋へ、夢のように漕いでゆく、ヴェネチアの・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ ためらう事なくクララは部屋を出て、父母の寝室の前の板床に熱い接吻を残すと、戸を開けてバルコンに出た。手欄から下をすかして見ると、暗の中に二人の人影が見えた。「アーメン」という重い声が下から響いた。クララも「アーメン」といって応じながら・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ この映画でもっとも美しいと思ったのはアパートのバルコンのような所へおおぜいの女が出て来て体操をする光景である。これは全く理屈なしに明るく力強く新鮮で朝日ののぼるごとき感じのするシーンである。同じ体操でも前の工場の体操とはまるで別な感じ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そのほかに、たとえば、飲んだくれの亭主が夜おそく帰って来て戸をたたくと女房のクサンチペがバルコンから壺の中の怪しい液体をぶっかけ、結局つかみ合いになるという活劇をもわずかな小道具と背景を使って映し出して見せた。この同じ見せものにその後米国へ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・の代わりに、バルコンの下から忍びよるド・サヴィニャク伯爵の梯子が石欄に触れる「ティック」の音を置き換えてある。ばかげているようであるが、この音で夢の世界から現実の世界へ観客を呼び返す役目をつとめさせているのである。 公爵のシャトーの中の・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・西洋でも花瓶に花卉を盛りバルコンにゼラニウムを並べ食堂に常緑樹を置くが、しかし、それは主として色のマッスとしてであり、あるいは天然の香水びんとしてであるように見える。「枝ぶり」などという言葉もおそらく西洋の国語には訳せない言葉であろう。どん・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・この室にはベランダはなかったが、バルコンのついた仏蘭西風の窓に凭ると、芝生の向に事務所になった会社の建物と、石塀の彼方に道路を隔てて日本領事館の建物が見える。その頃には日本の租界はなかったので、領事館を始め、日本の会社や商店は大抵美租界の一・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・ 労働者のいない船が、バルコンを散歩するブルジョアのように、油ぎった海の上を逍遥し始めた。 機関長が石炭を運び、それを燃やした。 船長が、自ら舵器を振り、自ら運転した。 にも拘らず、泰然として第三金時丸は動かなかった。彼女は・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ それから私たちは、簡単に朝飯を済まして、式が九時から始まるのでしたから、しばらくバルコンでやすんで待っていました。 不意に教会の近くから、のろしが一発昇りました。そらがまっ青に晴れて、一枚の瑠璃のように見えました。その冴みきったよ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫