・・・ そう言ってパレットを持ち直し、「満洲にも医学校はある。」 これでは問題が、更にややこしくなったばかりで、なんにもならない。母は今更、チベットとは言い直しかねた。そのまま引きさがって、勝治に向い、チベットは諦めて、せめて満洲の医・・・ 太宰治 「花火」
・・・もと使った絵の具箱やパレットや画架なども、数年前国の家を引き払う時に、もうこんなものはいるまいと言って、自分の知らぬ間に、母がくず屋にやってしまったくらいである。 その後都へ出て洋画の展覧会を見たりする時には、どうかすると中学時代の事を・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・だの「パレット」だのという言葉を言っているのが聞こえた。そして浦和へんの子供とはすべての質が違っていた。 帰りに、腰に敷いていた大きな布切れのちりを払おうとした拍子に取り落とした。それが溝の崖のずっと下のほうに引っかかって容易には取り上・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・水色の壁に立てけけた真白な石膏細工の上にパレットが懸って布細工の橄欖の葉が挿してある。隅の方で小僧が二人掛け合いで真似事の英語を饒舌っている。竹村君は前屈みになって硝子箱の中に並べたまじょりか皿をあれかこれかと物色しているが、頭の上の瓦斯の・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・ 六 ある大学講堂の前へ突き当たって右の坂道へおりようとする曲がり角に、パレットナイフのような形の芝生がある。きちょうめんにちゃんと曲がり角を曲がってあるくのと、その芝生の上を踏みにじって行くのとで、歩く距離にす・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事を知ったのは、明治四十三年の暮春洋画家の松山さんが銀座の裏通なる日吉町にカッフェーを創設し、パレット形の招牌を掲げてプランタンという屋号をつけた際であった。僕は開店と言わずして特に創設・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫