・・・「そう言われるだろうと思って、大阪駅の浮浪者に、毛布だとか米だとかパンだとか、相当くれてやって来たんですよ」「ほう、そいつは殊勝だ」「もっとも市電がなかったので、背中の荷を軽くしなければ焼跡を歩いて帰れませんからね」「そんな・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・……これでパンでも買え」と言って、十銭遣った。そしてあれからどうしたかということは訊かずに離れてしまった。 が耕吉が改札して出るようになっても、その巡査が来ないのか、小僧はしきりに表の方や出札口前をうろうろしていた。耕吉は橋を渡り、汽車・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・朝は大抵牛乳一合にパン四分の一斤位、バターを沢山付けて頂きます。その彼へスープ一合、黄卵三個、肝油球。昼はお粥にさしみ、ほうれん草の様なもの。午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・クックッと含み笑いをしていたが、「雀よ。パンの屑を屋根へ蒔いといたんですの」 その音がし始めると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜き足差し足で明り障子へ嵌めた硝子に近づいて行った。歩くのじゃなしに、揃えた趾で跳ねながら、四五匹の・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・そら近頃出来たパン屋の隣に河井様て軍人さんがあるだろう。彼家じゃア二三日前に買立の銅の大きな金盥をちょろりと盗られたそうだからねえ」「まアどうして」とお源は水を汲む手を一寸と休めて振り向いた。「井戸辺に出ていたのを、女中が屋後に干物・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
一「アナタア、ザンパン、頂だい。」 子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套にくるまって、頭を襟の中に埋めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のよ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・彼女はパンを焼くことなぞも上手で、そういうことは好きでよくした。在院中の慰みの一つは、その家から提げて来た道具で、小さな甥のために三時がわりのパンを焼くことであった。三吉はまた大悦びで、おばあさんが手製のふかしたてのパンを患者仲間の居る部屋・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・そうすると馬は、「それでは王さまにお願いして、肉とパンとうじ虫を百樽ずつ用意しておもらいなさい。そのほかにその樽を二つずつはこぶ車が百だい、その車を引っぱる革綱も二百本いります。それから水夫を二百人集めておもらいなさい。」と言いました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・長女のマサ子も、長男の義太郎も、何か両親のそんな気持のこだわりを敏感に察するものらしく、ひどくおとなしく代用食の蒸パンをズルチンの紅茶にひたしてたべています。「昼の酒は、酔うねえ。」「あら、ほんとう、からだじゅう、まっかですわ。」・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ いずこともなくニンフとパンの群が出て来る。眩しいような真昼の光の下に相角逐し、駈けり狂うて汀をめぐる。汀の草が踏みしだかれて時々水のしぶきが立つ。やがて狂い疲れて樹蔭や草原に眠ってしまう。草原に花をたずねて迷う蜂の唸りが聞える。 ・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
出典:青空文庫